・・・僕のような、礼節になれない人間には、至極便利である。その日も、こう云う訳で、僕は、大学の制服を着て行った。が、ここへ来ている連中の中には、一人も洋服を着ているものがない。驚いた事には、僕の知っている英吉利人さえ、紋附にセルの袴で、扇を前に控・・・ 芥川竜之介 「野呂松人形」
・・・織女が、少からずはにかんでいる夜に、慾張った願いなどするものではないと、ちゃんと礼節を心得ている。現に私などは、幼少の頃から、七夕の夜には空を見上げる事をさえ遠慮していた。そうして、どうか風雨のさわりもなく、たのしく一夜をお過しなさるように・・・ 太宰治 「作家の手帖」
・・・ 共同作者らの唱和応答の間に、消極的には謙譲礼節があり、積極的には相互扶助の美徳が現われないと、一句一句の興味はあっても一巻の妙趣は失われる。この事を考慮に加えずして連俳を評し味わうことは不可能である。真正面から受ける「有心」の付け句が・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・ 両性間の純な徳義、敏感な礼節、美しい共力はどうして得られるか。今日の生活、社会の習慣はまだまだ此等の獲得を困難なものにしています。男性も女性も、第一というところ、最も理想的というところを絶えず目ざしていて、決して雑作なく其処に着き過た・・・ 宮本百合子 「惨めな無我夢中」
・・・列は、儀礼と礼節とのためにもつくられるけれど、列が生じるのは、一に対する十の必要が動機である。そこに列の生きて脈搏つ真の動脈がひそめられている。その脈搏は生きものだから、事情によっては搏ちかたも変って来る。列というものは元来が案外動的な本質・・・ 宮本百合子 「列のこころ」
・・・その出て行くときの彼女の礼節を無視した様子には、確に、長らく彼女を虐めた病人と病院とに復讎したかのような快感が、悠々と彼女の肩に現われていた。 六 梅雨期が近づき出すと、ここの花園の心配はこの院内のことばかりでは・・・ 横光利一 「花園の思想」
出典:青空文庫