・・・――それよりもあの爺さんを見ろよ。」「あの爺さん」は僕等の隣に両手に赤葡萄酒の杯を暖め、バンドの調子に合せては絶えず頭を動かしていた。それは満足そのものと云っても、少しも差支えない姿だった。僕は熱帯植物の中からしっきりなしに吹きつけて来・・・ 芥川竜之介 「彼 第二」
・・・あんな爺さんに手を握られたのじゃ。」 田口一等卒は苦笑した。それを見るとどう云う訣か、堀尾一等卒の心の中には、何かに済まない気が起った。と同時に相手の苦笑が、面憎いような心もちにもなった。そこへ江木上等兵が、突然横合いから声をかけた。・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・今一人は仁右衛門の縁者という川森爺さんだった。眼をしょぼしょぼさせた一徹らしい川森は仁右衛門の姿を見ると、怒ったらしい顔付をしてずかずかとその傍によって行った。「汝ゃ辞儀一つ知らねえ奴の、何条いうて俺らがには来くさらぬ。帳場さんのう知ら・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・「だって、源次さん千太さん、理右衛門爺さんなんかが来ると……お前さん、この五月ごろから、粋な小烏といわれないで、ベソを掻いた三之助だ、ベソ三だ、ベソ三だ。ついでに鯔と改名しろなんて、何か高慢な口をきく度に、番ごと籠められておいでじゃない・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・思切って、ぺろ兀の爺さんが、肥った若い妓にしなだれたのか、浅葱の襟をしめつけて、雪駄をちゃらつかせた若いものでないと、この口上は――しかも会費こそは安いが、いずれも一家をなし、一芸に、携わる連中に――面と向っては言いかねる、こんな時に持出す・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ 爺さんはにこにこ笑いながら、予がなんというかと思ってか、予のほうを見ている。「おもしろい、おもしろい、もっとさきを話して聞かせろ。爺さん、ほんとにおもしろいよ」「そいからあなた、十里四方もあった甲斐の海が原になっていました。そ・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
・・・七兵衛の爺さんもいた。みんな湯に入ってしまって話しこんでいるらしい。だれか障子をあけて皆が省作に挨拶する。清さんは囲炉裏のはたにごろねをしていた。おとよさんだけが影も見えず声もしない。よいあんばいだなと思う心と、失望みたような心が同時にわく・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・政治界でも実業界でも爺さんでなければ夜も日も明けない老人万能で、眼前の安楽や一日の苟安を貪る事無かれ主義に腰を叩いて死慾ばかり渇いている。女学校を出たてのお嬢さんが結婚よりも女の独立を主張し、五十六十のお婆さんまでが洋服を着て若い女と一緒に・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・そのとき町の人々は、子供が泣きながら爺さんの手を引いて逃げようとして、爺さんが胡弓を振りあげて犬をおどしている有り様を見ても黙っていました。ある日町の人は二人を捕らえて、「おまえらは、どこからきたのだ。」といって聞きました。すると子・・・ 小川未明 「黒い旗物語」
・・・ 側へ寄って見ると、そこには小屋掛もしなければ、日除もしてないで、唯野天の平地に親子らしいお爺さんと男の子が立っていて、それが大勢の見物に取り巻かれているのです。 私は前に大人が大勢立っているので、よく見えません。そこで、乳母の背中・・・ 小山内薫 「梨の実」
出典:青空文庫