・・・そう云えばもう一つ、その頭の上の盆提灯が、豊かな胴へ秋草の模様をほんのりと明く浮かせた向うに、雨上りの空がむら雲をだだ黒く一面に乱していたのも、やはり妙に身にしみて、忘れる事が出来ません。 そこで肝腎の話と云うのは、その新蔵と云う若主人・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・娘の帯の、銀の露の秋草に、円髷の帯の、浅葱に染めた色絵の蛍が、飛交って、茄子畑へ綺麗にうつり、すいと消え、ぱっと咲いた。「酔っとるでしゅ、あの笛吹。女どもも二三杯。」と河童が舌打して言った。「よい、よい、遠くなり、近くなり、あの・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・……地蔵が化けて月のむら雨に托鉢をめさるるごとく、影朧に、のほのほと並んだ時は、陰気が、緋の毛氈の座を圧して、金銀のひらめく扇子の、秋草の、露も砂子も暗かった。 女性の山伏は、いやが上に美しい。 ああ、窓に稲妻がさす。胸がとどろく。・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・―― 一度横目を流したが、その時は、投げた単衣の後褄を、かなぐり取った花野の帯の輪で守護して、その秋草の、幻に夕映ゆる、蹴出しの色の片膝を立て、それによりかかるように脛をあらわに、おくれ毛を撫でつけるのに、指のさきをなめるのを、ふと見ま・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・ 風流気はないが秋草が可哀そうで見ていられない。私は見返もしないで、さっさとこっちへ通抜けて来たんだが、何だあれは。」といいながらも判事は眉根を寄せたのである。「お聞きなさいまし旦那様、その爺のためにお米が飛んだことになりました。」・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・――萌黄の蚊帳、紅の麻、……蚊の酷い処ですが、お米さんの出入りには、はらはらと蛍が添って、手を映し、指環を映し、胸の乳房を透して、浴衣の染の秋草は、女郎花を黄に、萩を紫に、色あるまでに、蚊帳へ影を宿しました。「まあ、汗びっしょり。」・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・「桔梗ヶ原とは申しますが、それは、秋草は綺麗に咲きます、けれども、桔梗ばかりというのではございません。ただその大池の水が真桔梗の青い色でございます。桔梗はかえって、白い花のが見事に咲きますのでございまして。…… 四年あとになりますが・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・ 庭には、はげいとうや、しおんのような、秋草が咲き乱れていました。中にも、うす紅色のコスモスの花がみごとでした。縁側の日当たりに、十ばかりの少女が、すわって、兄さんの帰るのを待っていました。その子は、病気と思われるほど、やせていました。・・・ 小川未明 「少年と秋の日」
・・・ 秋草の咲き乱れた高原を、だんだん遠ざかってゆく、手風琴の音がきこえました。「変わった薬屋さんもあったものだ。」 じいさんは、働きながら、男のいったことを思い出していました。それには、真理がありました。かわいい孫が腹下しをして、・・・ 小川未明 「手風琴」
・・・ 秋草の乱れた、野原にまで、女ちょうは一気に飛んでくると気がゆるんで、一本の野菊の花にとまって休みました。 このうす紫色の、花の放つ高い香気は、なんとなく彼女の心を悲しませずにいませんでした。「冬を前にして、なんと私たちは、悪い・・・ 小川未明 「冬のちょう」
出典:青空文庫