・・・ 腹が空くと、電信の針がねに一座ずらりと出て、ぽちぽちぽちと中空高く順に並ぶ。中でも音頭取が、電柱の頂辺に一羽留って、チイと鳴く。これを合図に、一斉にチイと鳴出す。――塀と枇杷の樹の間に当って。で御飯をくれろと、催促をするのである。・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・煙草を吸うとかえっておなかが空くものだ。よし給え。焼鳥が喰いたいなら、買ってやる。」 少年たちは、吸い掛けの煙草を素直に捨てました。すべて拾歳前後の、ほんの子供なのです。私は焼鳥屋のおかみに向い、「おい、この子たちに一本ずつ。」・・・ 太宰治 「美男子と煙草」
・・・おなかに赤ちゃんがいると、とてもおなかが空くんだって。おなかの赤ちゃんと二人ぶん食べなければいけないのね。お嫂さんは私と違って身だしなみがよくてお上品なので、これまではそれこそ「カナリヤのお食事」みたいに軽く召上って、そうして間食なんて一度・・・ 太宰治 「雪の夜の話」
・・・かつ大志を抱くものは往々貧家の子に多きものなれども、衣食にも差支うるほどにて、とても受教の金を払うべき方便なく、ついに空く志を挫く者多し。その失、二なり。一、私塾の教師は、教授をもって金を得ざれば、別に生計の道を求めざるをえず。生計に時・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・中にはいるとそのために、すっかり腹が空くほどだ。そしてじっさいオツベルは、そいつで上手に腹をへらし、ひるめしどきには、六寸ぐらいのビフテキだの、雑巾ほどあるオムレツの、ほくほくしたのをたべるのだ。 とにかく、そうして、のんのんのんのんや・・・ 宮沢賢治 「オツベルと象」
・・・おなかの空くことは、昔は母親が心配して何とか食べさせて行けました。今日はお母さんだけでは間に合わないでお父さんが動いています。お父さんが動いても子供が大勢の場合には、まだ不充分で、女学校の一年、二年、ひどい場合には国民学校の上級生の小さい人・・・ 宮本百合子 「美しく豊な生活へ」
・・・ 始め、此家が今に空くのだそうだ、と云うので、赤門前の男から知らされ、まだ、人が住んで居た時分、或夜、見に来た事があった。 勿論中へは入れない。崖の上の狭い平地の隅から、低い板塀越しに、中をちらりと覗いた丈であった。後、もう一遍、来・・・ 宮本百合子 「小さき家の生活」
・・・腹の空いたとき腹がなぜ空くかということがわかる、この腹の空いた嫌な気分を何処に持って行くかということがわかれば腹が空いたのも忘れて笑う。こういう生き方もまたわかる。そういうようなものが私どもの文学です。そういう意味では、男の作家も女の作家も・・・ 宮本百合子 「婦人の創造力」
・・・さて持てきし薬など服して、木村氏のもとにありしが、いつまでも手を空くしてあるべきにあらねば、月給八円の雇吏としぬ。その頃より六郎酒色に酖りて、木村氏に借銭払わすること屡々なり。ややありて旅費を求めてここを去りぬ。後に聞けば六郎が熊谷に来しは・・・ 森鴎外 「みちの記」
出典:青空文庫