・・・神父はほとんどのしかかるように鬚だらけの顔を突き出しながら、一生懸命にこう戒め続けた。「まことの神をお信じなさい。まことの神はジュデアの国、ベレンの里にお生まれになったジェズス・キリストばかりです。そのほかに神はありません。あると思うの・・・ 芥川竜之介 「おしの」
・・・その音を聞きつけて、往来の子供たちはもとより、向こう三軒両隣の窓の中から人々が顔を突き出して何事が起こったかとこっちを見る時、あの子供と二人で皆んなの好奇的な眼でなぶられるのもありがたい役廻りではないと気づかったりして、思ったとおりを実行に・・・ 有島武郎 「卑怯者」
・・・けて参りましてね、蚊遣の煙がどことなく立ち渡ります中を、段々近くへ寄って来て、格子へつかまって例の通り、鼻の下へつッかい棒の杖をついて休みながら、ぬっとあのふやけた色づいて薄赤い、てらてらする鼻の尖を突き出して、お米の横顔の処を嗅ぎ出したの・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・―― と精々喜多八の気分を漾わせて、突出し店の硝子戸の中に飾った、五つばかり装ってある朱の盆へ、突如立って手を掛けると、娘が、まあ、と言った。 ――あら、看板ですわ―― いや、正のものの膝栗毛で、聊か気分なるものを漾わせ過ぎた形・・・ 泉鏡花 「雛がたり」
・・・ 待つことしばらくして、盆で突き出したやつを見ると、丼がたった一つ。腹の空いた悲しさに、姐さん二ぜんと頼んだのだが。と詰るように言うと、へい、二ぜん分、装り込んでございますで。いや、相わかりました。どうぞおかまいなく、お引き取りを、と言・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・ 吉弥は片足を一歩踏み出すと同時に、あごをもよほど憎らしそうに突き出して、くやしがった。その様子が大変おかしかったので、一同は言い合わせたように吹き出した。かの女もそれに釣り込まれて、笑顔を向け、炉のそばに来て座を取った。 薬罐のく・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・軽部は小柄なわりに顔の造作が大きく、太い眉毛の下にぎょろりと眼が突き出し、分厚い唇の上に鼻がのしかかっていて、まるで文楽人形の赤面みたいだが、彼はそれを雄大な顔と己惚れていた。けれども、顔のことに触れられると、何がなしいい気持はしなかった。・・・ 織田作之助 「雨」
・・・ロンパンがなくなったと気がついて、派出看護婦が近くの医者まで貰いに走っている間、一代は下腹をかきむしるような手つきをしながら、唇を突き出し、ポロポロ涙を流して、のた打ち廻るのだ。世の中にこんな苦痛があったのかと、寺田もともにポロポロ涙を流し・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・長い頸を斜に突き出し丸く背を曲げて胸を凹ましている。まるで病人のようである。しかし刳物台に坐っているときの彼のなんとがっしりしていることよ。彼はまるで獲物を捕った虎のように刳物台を抑え込んでしまっている。人は彼が聾であって無類のお人好である・・・ 梶井基次郎 「温泉」
最近東京を騒がした有名な強盗が捕まって語ったところによると、彼は何も見えない闇の中でも、一本の棒さえあれば何里でも走ることができるという。その棒を身体の前へ突き出し突き出しして、畑でもなんでも盲滅法に走るのだそうである。・・・ 梶井基次郎 「闇の絵巻」
出典:青空文庫