・・・ほどそんな風に考えたのか、火鉢の傍を離れて自分はせっせと復習をしている、母や妹たちのことを悲しく思いだしているところへ、親父は大胡座を掻いて女のお酌で酒を飲みながら猿面なぞと言って女と二人で声を立てて笑う、それが癪に障ったのはむりもないと私・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・しかし片方はただ笑うだけでその話には乗らなかった。 2 生島はその夜晩く自分の間借りしている崖下の家へ帰って来た。彼は戸を開けるとき、それが習慣のなんとも言えない憂鬱を感じた。それは彼がその家の寝ている主婦を思い出す・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・ 廊下を通う婢を呼び止めて、唄の主は誰と聞けば、顔を見て異しく笑う。さては大方美しき人なるべし。何者と重ねて問えば、私は存じませぬとばかり、はや岡焼きの色を見せて、溜室の方へと走り行きぬ。定めて朋輩の誰彼に、それと噂の種なるべし。客は微・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・何だと訊ねると、みんな顔を見合わせて笑う、中には目でよけいな事をしゃべるなと止める者もある。それにかまわずかの水兵の言うには、この仲間で近ごろ本国から来た手紙を読み合うと言うのです。自分。そいつは聞きものだぜひ傍聴したいものだと言って座を構・・・ 国木田独歩 「遺言」
・・・とへへら笑うように云った。「何も云いやしません。」「こいつにでもなか/\金を入れとるだろう。……偽せ札でもこしらえんけりゃ追っつかんや。」 如何にも、女に金を貢ぐために、偽せ札をこしらえていたと断定せぬばかりの口吻だ。 彼は・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・で、思わず知らず鼻のさきで笑うような調子に、「腕なんぞで、君、何が出来るかネ。僕等よりズット偉い人だって、腕なんかがアテになるものじゃあるまい。」と云った。何かが破裂したのだ。客はギクリとしたようだったが、さすがは老骨だ。禅宗の味噌・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・そういう動作をしているお前の妹の顔は、お前が笑うような形容詞を使うことになるが、紙のように蒼白だった。しかし、それは本当にしっかりした、もの確かな動作だったよ。特高が入ってきて、妹を見ると、「よウ!」と云った。妹は唇のホンの隅だけを動かして・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・ しばらくするうちに、私は二階の障子のそばで自分の机の前にすわりながらでも、階下に起こるいろいろな物音や、話し声や、客のおとずれや、子供らの笑う声までを手に取るように知るようになった。それもそのはずだ。餌を拾う雄鶏の役目と、羽翅をひろげ・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・そうすると物を遣った人も声を出して笑うのである。婆あさんは老人が家の前に立ち留まって、どうしようかとためらっているのを見て云った。「這入って行って御覧よ。ここいらには好い人達が住まっているのだ。お前さんにも何かくれるよ。」「いやだ。・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・と小母さんが笑う。この細工は床屋の寅吉に泣きついてさせたのだという。章坊は、「兄さんを写してあげるんだから、よう、炬燵から出てくださいよ」と甘えるように言うかと思うと、「じきです。じき写ります」と、まじめに写真やのつもりでいる。・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
出典:青空文庫