・・・ この三人の話していることは何であったにせよ、それと全く同じことを同じ三人がいついかなる場所で話し合ってもこの場合と同じように笑えるかどうか。どうもそうとは限らないであろうと思われた。この場合にこの人たちをこんなにたわいなく笑わせている・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・高き室の静かなる中に、常ならず快からぬ響が伝わる。笑えるははたとやめて「この帳の風なきに動くそうな」と室の入口まで歩を移してことさらに厚き幕を揺り動かして見る。あやしき響は収まって寂寞の故に帰る。「宵見し夢の――夢の中なる響の名残か」と・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・におけるゲーブルとクロフォードとのユーモラスなものの下に語られる男の真心というようなものの方がさっぱりしていて、笑えるだけでも成功であったと思う。ぎょうぎょうしくて、しかも愚劣であったのは「恋人の日記」である。 映画における恋愛的な場面・・・ 宮本百合子 「映画の恋愛」
・・・こう書いて今日は笑えるから嬉しいわ。これで私もまた一層のんきになって治れます。私がひっくり返って治るまでに、咲枝やおなかの赤チャン、泰子、国男さん、寿江子、みんなが揃いも揃って一つの時期を通って、私の医療につれて何かそれぞれ+を得て、国男さ・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・この動機の一端が、今になって考えると笑えるようなところにあるのであった。 北コーカサスの温泉地を一晩ぐらいずつ見物して、或る晩ウラジ・カウカアズという町に着いた。チフリスへはコーカサス山脈を横断するグルジンスカヤ山道を自動車で十時間余ド・・・ 宮本百合子 「石油の都バクーへ」
・・・端、どんなことしても自分たちより大きい栄さんがあろうとは思えず、二人ながら何となく、それは小さい栄さんとうたの文句のような調子で感じ、それが又互に通じあったところに独特なおかしさがあり、歩きながらも猶笑えるのであった。〔一九三九年十二月・・・ 宮本百合子 「まちがい」
出典:青空文庫