・・・もしまただれか僕の筆記に飽き足りない人があるとすれば、東京市外××村のS精神病院を尋ねてみるがよい。年よりも若い第二十三号はまず丁寧に頭を下げ、蒲団のない椅子を指さすであろう。それから憂鬱な微笑を浮かべ、静かにこの話を繰り返すであろう。最後・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・「そうしてその仮定と云うのは、今君が挙げた加治木常樹城山籠城調査筆記とか、市来四郎日記とか云うものの記事を、間違のない事実だとする事です。だからそう云う史料は始めから否定している僕にとっては、折角の君の名論も、徹頭徹尾ノンセンスと云うよ・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・「それがふと思い出して見ると、三四年前にたった一度談話筆記に来た婦人記者なんだがね。」「じゃ女の運転手だったの?」「いや、勿論男なんだよ。顔だけは唯その人になっているんだ。やっぱり一度見たものは頭のどこかに残っているのかな。」・・・ 芥川竜之介 「蜃気楼」
・・・科目は教師が黒板に書いて教授するのを、筆記帳へ書取って、事は足りたのであるが、皆が持ってるから欲しくてならぬ。定価がその時金八十銭と、覚えている。 七 親父はその晩、一合の酒も飲まないで、燈火の赤黒い、火屋の亀裂・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・写字をしたり口授を筆記したりして私の仕事の手伝いをしていた。面胞だらけの小汚ない醜男で、口は重く気は利かず、文学志望だけに能書というほどではないが筆札だけは上手であったが、その外には才も働きもない朴念人であった。 沼南が帰朝してから間も・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・も一つは新らしい筆記帳の使いはじめ字を書き損ねたときのことです。筆記帳を捨ててしまいたくなるのです。そんなことを思い出した末、私はその年少の友の反省の為に、大切に使われよく繕われた古い器具の奥床しさを折があれば云って見たいと思いました。ひび・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・という題で、長兄が、それを私に口述筆記させました。いまでも覚えて居ります。二階の西洋間で、長兄は、両手をうしろに組んで天井を見つめながら、ゆっくり歩きまわり、「いいかね、いいかね、はじめるぞ。」「はい。」「おれは、ことし三十にな・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・このように先生が鹿爪らしい調子でものを言い出した時には、私がすぐに手帖を出してそれを筆記しなければならぬ習慣になっていた。いちど私が、よせばいいのに、先生のご機嫌をとろうと思って、先生の座談はとても面白い、ちょっと筆記させていただきます、と・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・そうして、その婦女子のねむけ醒しのために、あの人は目を潰してしまいまして、それでも、口述筆記で続けたってんですから、馬鹿なもんじゃありませんか。 余談のようになりますが、私はいつだか藤村と云う人の夜明け前と云う作品を、眠られない夜に朝ま・・・ 太宰治 「小説の面白さ」
・・・以下はその座談筆記の全文であって、ところどころの括弧の中の文章は、私の蛇足にも似た説明である事は前回のとおりだ。 なに、むずかしい事はありません。つまらぬ知識に迷わされるからいけない。女は、うぶ。この他には何も要らない。田舎でよく見・・・ 太宰治 「花吹雪」
出典:青空文庫