・・・ ウィリアムは身の丈六尺一寸、痩せてはいるが満身の筋肉を骨格の上へたたき付けて出来上った様な男である。四年前の戦に甲も棄て、鎧も脱いで丸裸になって城壁の裏に仕掛けたる、カタパルトを彎いた事がある。戦が済んでからその有様を見ていた者がウィ・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・ 死ねとでも云うて下され――第一(の精霊の目は狂った様に輝いて、顔中の筋肉がズーッとしまって居る。精女云っても良いんでございましょうか、――お死に遊ばせ。第一(の精霊は飛び上って精女の目を見つめ神経的に高笑をする。二・・・ 宮本百合子 「葦笛(一幕)」
・・・古風なものの考えかたでは、頭脳の労作と筋肉的労作との間に、人間品位の差があるようにあつかわれた。社会のための活動の、それぞれちがった部門・専門、持ち場というふうには感じられていなかった。その古風さに、近代の出版企業が絡んだ。出版企業は、作家・・・ 宮本百合子 「ある回想から」
・・・男はどうにかしてそのいてついた様な女のかおの一条の筋肉でも自分の力で動かして見たかった。外套のかげから水色のマントのかげの象牙ぼりの様な女の手をさぐってにぎった。しらんかおをして居る女のよこがおを見ながらソッとにぎりしめるとひやっこいするど・・・ 宮本百合子 「お女郎蜘蛛」
・・・熱帯地方の子供かと思うように、ひどく日に焼けた膚の色が、白地の浴衣で引っ立って見える。筋肉の緊まった、細く固く出来た体だということが一目で知れる。 暫く見ていた花房は、駒下駄を脱ぎ棄てて、一足敷居の上に上がった。その刹那の事である。病人・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・りよは十人並の容貌で、筋肉の引き締まった小女である。未亡人は頭痛持でこんな席へは稀にしか出て来ぬが、出て来ると、若し返討などに逢いはすまいかと云う心配ばかりして、果はどうしてこんな災難に遇ったことかと繰り返してくどくのであった。日が窪から来・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・骨組みのたくましい、筋肉が一つびとつ肌の上から数えられるほど、脂肪の少い人で、牙彫の人形のような顔に笑みを湛えて、手に数珠を持っている。我が家を歩くような、慣れた歩きつきをして、親子のひそんでいるところへ進み寄った。そして親子の座席にしてい・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・ エルリングの体は筋肉が善く発達している。その幅の広い両肩の上には、哲学者のような頭が乗っている。たっぷりある、半明色の髪に少し白髪が交って、波を打って、立派な額を囲んでいる。鼻は立派で、大きくて、しかも優しく、鼻梁が軽く鷲の嘴のように・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・いかに単純化した手法を用うるにしても、顔面のあらゆる筋肉や影や色を閑却しようとしない洋画家は、歴史上の人物の肖像を描き得るために、モデルを前に置いたと同じ明らかさをもって、想像の人間の顔を幻視し得ねばならぬ。このことは画家にとって非常な難事・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
・・・――またたとえば一人の青年が二人の老人を前に置いて、眼を光らせ、口のあたりの筋肉を痙攣させながら怒号する。老人はおどおどしている。青年は自分の声のききめを測量しながら、怒りの表情の抑揚のつけ方をちょっと思案してみる。――これも自然である。声・・・ 和辻哲郎 「「自然」を深めよ」
出典:青空文庫