・・・蓮根でも蒟蒻でもすこぶる厚身で、お辰の目にも引き合わぬと見えたが、種吉は算盤おいてみて、「七厘の元を一銭に商って損するわけはない」家に金の残らぬのは前々の借金で毎日の売上げが喰込んで行くためだとの種吉の言い分はもっともだったが、しかし、十二・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・敷地の買上、その代価の交渉、受負師との掛引、割当てた寄附金の取立、現金の始末まで自分に為せられるので、自然と算盤が机の上に置れ通し。持前の性分、間に合わして置くことが出来ず、朝から寝るまで心配の絶えないところへ、母と妹とが堕落の件。殊に又ぞ・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・収入役は、金高を読み上げて、二人の書記に算盤をおかしていた。源作は、算盤が一と仕切りすむまで待っていた。「おい、源作!」 ふと、嗄れた、太い、力のある声がした。聞き覚えのある声だった。それは、助役の傍に来て腰掛けている小川という村会・・・ 黒島伝治 「電報」
・・・ 番頭は金を受取ってツリ銭を出す。お里は嵩ばった風呂敷包みを気にしながら、立っている。火鉢の傍に坐りこんでいる内儀の眼がじろりと光る。お里はぐら/\地が動きだしたような気がする。 番頭は算盤をはじき直している。彼は受領書に印を捺して・・・ 黒島伝治 「窃む女」
・・・今日は市立つ日とて、秤を腰に算盤を懐にしたる人々のそこここに行きかい、糸繭の売買に声かしましく罵り叫く。文化文政の頃に成りたる風土記稿にしるせる如く、今も昔の定めを更えで二七の日をば用いるなるべし。昼餉を終えたれど暑さ烈しければ、二時過ぐる・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・もしませんが、でもこの黙殺の仕方は、少しも高慢の影は無く、ひとりひとり違った心の表情も認められず、一様にうつむいてせっせと事務を執っているだけで、来客の出入にもその静かな雰囲気は何の変化も示さず、ただ算盤の音と帳簿を繰る音が爽やかに聞こえて・・・ 太宰治 「東京だより」
・・・もっともこれは全く算盤から割り出した方法だそうではあるが。「無礼講」という言葉が残っており、西洋でも「エプリルフール」という事がある。 あれほど常識的な英国にでもわれわれに了解の出来ないほど馬鹿げた儀式が残っているようであるが、それ・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・この方面の研究者にとっては一つ一つの地震は単に一つ一つの算盤玉のようなものである、たとえ場合によっては地震の強度を分類する事はあっても、結局は赤玉と黒玉とを区別するようなものである。第二には地震計測の方面がある。この方面の専攻者にとっては、・・・ 寺田寅彦 「地震雑感」
・・・郡の小学校が何十か集って、代表児童たちが得意の算盤とか、書き方とか、唱歌とか、お話とかをして、一番よく出来た学校へ郡視学というえらい役人から褒状が渡されるのだった。そのとき私たちは、林が英語の本を読み、私が通訳するということであった。 ・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・運送屋の広い間口の店先には帳場格子と金庫の間に若い者が算盤を弾いていたが人の出入りは更に見えない。鼠色した鳩が二、三羽高慢らしく胸を突出して炎天の屋根を歩いていると、荷馬の口へ結びつけた秣桶から麦殻のこぼれ落ちるのを何処から迷って来たのか痩・・・ 永井荷風 「夏の町」
出典:青空文庫