・・・ある粉雪の烈しい夜、僕等はカッフェ・パウリスタの隅のテエブルに坐っていた。その頃のカッフェ・パウリスタは中央にグラノフォンが一台あり、白銅を一つ入れさえすれば音楽の聞かれる設備になっていた。その夜もグラノフォンは僕等の話にほとんど伴奏を絶っ・・・ 芥川竜之介 「彼 第二」
・・・市街を離れた川沿いの一つ家はけし飛ぶ程揺れ動いて、窓硝子に吹きつけられた粉雪は、さらぬだに綿雲に閉じられた陽の光を二重に遮って、夜の暗さがいつまでも部屋から退かなかった。電燈の消えた薄暗い中で、白いものに包まれたお前たちの母上は、夢心地に呻・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・目口に吹込む粉雪に、ばッと背を向けて、そのたびに、風と反対の方へ真俯向けになって防ぐのであります。こういう時は、その粉雪を、地ぐるみ煽立てますので、下からも吹上げ、左右からも吹捲くって、よく言うことですけれども、面の向けようがないのです。・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・――そうは言っても、小高い場所に雪が積ったのではありません、粉雪の吹溜りがこんもりと積ったのを、哄と吹く風が根こそぎにその吹く方へ吹飛ばして運ぶのであります。一つ二つの数ではない。波の重るような、幾つも幾つも、颯と吹いて、むらむらと位置を乱・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・その日、大阪は十一月末というのに珍しくちらちら粉雪が舞うていた。孫の成長とともにすっかり老いこみ耄碌していた金助が、お君に五十銭貰い、孫の手を引っぱって千日前の楽天地へ都築文男一派の新派連鎖劇を見に行った帰り、日本橋一丁目の交叉点で恵美須町・・・ 織田作之助 「雨」
朝から粉雪が舞いはじめて、ひる過ぎからシトシトと牡丹雪だった。夕方礼吉は雪をふんで見合に出掛けた。雪の印象があまり強すぎたせいか、肝賢の相手の娘さんの印象がまるで漠然として掴めなかった。翌朝眼がさめると、もうその娘さんの顔・・・ 織田作之助 「妻の名」
・・・馬は、人を乗せなかったことが嬉しいかのように奔放にはねていた。粉雪は一層数を増して斜に、早いテンポでさら/\と落ちていた。「そうだ、あたりまえなら、今頃、あの橇で辷っている時分だ!」 彼は、ふと、こんなことを考えた。 伍長は、手・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・三日深夜。粉雪さらさら。北奥新報社整理部、辻田吉太郎。アザミの花をお好きな太宰君。」「太宰先生。一大事。きょう学校からのかえりみち、本屋へ立ち寄り、一時間くらい立読していたが、心細いことになっているのだよ。講談倶楽部の新年附録、全国長者・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ 宴会が終って私は料亭から出た。粉雪が降っている。ひどく寒い。「待ってよ。」 芸者は酔っている。お高祖頭巾をかぶっている。私は立ちどまって待った。 そうして私は、或る小さい料亭に案内せられた。女は、そこの抱え芸者とでもいうよ・・・ 太宰治 「チャンス」
○先日徹夜をして翌晩は近頃にない安眠をした。その夜の夢にある岡の上に枝垂桜が一面に咲いていてその枝が動くと赤い花びらが粉雪のように細かくなって降って来る。その下で美人と袖ふれ合うた夢を見た。病人の柄にもない艶な夢を見たものだ。〔『ホ・・・ 正岡子規 「夢」
出典:青空文庫