・・・ 斯う云うと、長女は初めて納得したようにうなずいた。 で三人はまた、彼等の住んでいた街の方へと引返すべく、十一時近くなって、電車に乗ったのであった。その辺の附近の安宿に行くほか、何処と云って指して行く知合の家もないのであった。子供等・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・私が二人ともそれぞれ忙がしい体だからと言いますと、彼も納得して、それでは弟達を呼んで呉れと言います。其処で私が、何故そんな事を言うのか、斯うしてお母さんと二人で居ればよいではないか、と言っても彼は「いいえ、僕は淋しいのです。それでは氷山さん・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・何が俺をそんなに不安にしていたかがおまえには納得がいくだろう。 馬のような屍体、犬猫のような屍体、そして人間のような屍体、屍体はみな腐爛して蛆が湧き、堪らなく臭い。それでいて水晶のような液をたらたらとたらしている。桜の根は貪婪な蛸のよう・・・ 梶井基次郎 「桜の樹の下には」
・・・彼は納得がいったような気がした。と同時に切り通しの上は××の屋敷だったと思った。 小時歩いていると今度は田舎道だった。邸宅などの気配はなかった。やはり切り崩された赤土のなかからにょきにょき女の腿が生えていた。「○○の木などあるはずが・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・ そこで独楽の方は古いので納得した。しかし、母と二人で緒を買いに行くと、藤二は、店頭の木箱の中に入っている赤や青で彩った新しい独楽を欲しそうにいじくった。 雑貨店の内儀に緒を見せて貰いながら、母は、「藤よ、そんなに店の物をいらい・・・ 黒島伝治 「二銭銅貨」
誰よりも一番親孝行で、一番おとなしくて、何時でも学校のよく出来た健吉がこの世の中で一番恐ろしいことをやったという――だが、どうしても母親には納得がいかなかった。見廻りの途中、時々寄っては話し込んで行く赫ら顔の人の好い駐在所・・・ 小林多喜二 「争われない事実」
・・・ことに困るのは、知識で納得の行く自己道徳というものが、実はどうしてもまだ崇高荘厳というような仰ぎ見られる感情を私の心に催起しない。陳い習慣の抜殻かも知れないが、普通道徳を盲目的に追うている間は、時としてこれに似たような感じの伴うこともあった・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・結果は同じ様なことになるのだが、フランス式のほうは、すべての人に納得の行くように、いかにも合理的な立場である。けれども、いまの解析の本すべてが、不思議に、言い合せたように、平気でドイツ式一方である。伝統というものは、何か宗教心をさえ起させる・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・私も、既に四十ちかくに成りますが、未だ一つも自身に納得の行くような、安心の作品を書いて居りませんし、また私には学問もないし、それに、謂わば口重く舌重い、無器用な田舎者でありますから、濶達な表現の才能に恵まれている筈もございません。それに加え・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・がおそらく毎日ここで行なわれてそして見物人の幾割かはそれで納得するものだとすると、そういう事自身がかなり興味のある事だと思われた。 知識の案内者と呼ばれ、権威と呼ばれる人にはさすがにこんな人は無いはずである。それでは被案内者が承知しない・・・ 寺田寅彦 「案内者」
出典:青空文庫