・・・ 遠藤がそんなことを考えていると、突然高い二階の窓から、ひらひら落ちて来た紙切れがあります。「おや、紙切れが落ちて来たが、――もしや御嬢さんの手紙じゃないか?」 こう呟いた遠藤は、その紙切れを、拾い上げながらそっと隠した懐中電燈・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・帙と離ればなれに転っている本の類。紙切れ。そしてそんなものを押しわけて敷かれている蒲団。喬はそんななかで青鷺のように昼は寝ていた。眼が覚めては遠くに学校の鐘を聞いた。そして夜、人びとが寝静まった頃この窓へ来てそとを眺めるのだった。 深い・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・下へ置いた笠に何か書いた紙切れが喰っついている。読んでみると章坊の手らしい幼い片仮名で、フジサンガマタナクと書いてある。「あら」と女の人は恥かしそうに笑ってその紙を剥がす。「章ちゃんがこんな悪戯をするんですわ。嘘ですのよ、みんな」と・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・辻の広場には塵や紙切れが渦巻いていました。 広場に向かって Au canon という料理屋があって、軒の上に大砲の看板が載せてあります。ここからまた馬車の二階に乗ってオテルドヴィーユまで行きました。通りの片側には八百屋物を載せた小車が並・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・ 畳の上におろしてやると、もうすぐそこにある紙切れなどにじゃれるのであった。その挙動はいかにも軽快でそして優雅に見えた。人間の子供などはとても、自分のからだをこれだけ典雅に取り扱われようと思われない。英国あたりの貴族はどうだか知らないが・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・ 彼が拾った小箱の中からは、ボロに包んだ紙切れが出た。それにはこう書いてあった。 ――私はNセメント会社の、セメント袋を縫う女工です。私の恋人は破砕器へ石を入れることを仕事にしていました。そして十月の七日の朝、大きな石を入れる時・・・ 葉山嘉樹 「セメント樽の中の手紙」
・・・―― 吉田は、紙切れに鉛筆で走り書きをして、母に渡した。「これを依田君に渡して下さい。私はちょっと行って来ますから。心配しないで下さいね。大丈夫だから」 老母の眼からは、涙が落ちた。 吉田は胸が痛かった。おそろしい悲しみ・・・ 葉山嘉樹 「生爪を剥ぐ」
・・・と云いながら、一枚の紙切れを渡しました。ジョバンニはその人の卓子の足もとから一つの小さな平たい函をとりだして向うの電燈のたくさんついた、たてかけてある壁の隅の所へしゃがみ込むと小さなピンセットでまるで粟粒ぐらいの活字を次から次と拾いはじめま・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・するとテねずみは紙切れを出してするするするっと何か書いて捕り手のねずみに渡しました。 捕り手のねずみは、しばられてごろごろころがっているクねずみの前に来て、すてきにおごそかな声でそれを読みはじめました。「クねずみはブンレツ者によりて・・・ 宮沢賢治 「クねずみ」
・・・ すると所長は一枚の紙きれを持って扉をあける前から恐い顔つきをして、わたくしの方を見ていましたが、わたくしが前に行って恭しく礼をすると、またじっとわたくしの様子を見てからだまってその紙切れを渡しました。見ると、イ警第三二五六号 ・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
出典:青空文庫