・・・ 冬の日の当ったアスファルトの上には紙屑が幾つもころがっていた。それらの紙屑は光の加減か、いずれも薔薇の花にそっくりだった。僕は何ものかの好意を感じ、その本屋の店へはいって行った。そこもまたふだんよりも小綺麗だった。唯目金をかけた小娘が・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・ たとえば冬の夜更などに、銀座通りを御歩きになって見ると、必ずアスファルトの上に落ちている紙屑が、数にしておよそ二十ばかり、一つ所に集まって、くるくる風に渦を巻いているのが、御眼に止まる事でしょう。それだけなら、何も申し上げるほどの事は・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・満室の空気を動揺し、半分黒焦げになったりポンプの水を被ったりした商品、歪げたり破れたりしたボール箱の一と山、半破れの椅子や腰掛、ブリキの湯沸し、セメント樽、煉瓦石、材木の端片、ビールの空壜、蜜柑の皮、紙屑、縄切れ、泥草履と、塵溜を顛覆返した・・・ 内田魯庵 「灰燼十万巻」
・・・ 若い男は、一と握りの紙幣束を紙屑のようにポケットから掴みだしてみせた。そして、また、ルーブル相場がさがってきたと話した。「さがれゃ、さがって、こちとらは、物を高く売りつけりゃええだ。なに、かまうこっちゃねえだ」 呉清輝は、・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・なぎさに破れた絵日傘が打ち寄せられ、歓楽の跡、日の丸の提灯も捨てられ、かんざし、紙屑、レコオドの破片、牛乳の空瓶、海は薄赤く濁って、どたりどたりと浪打っていた。 緒方サンニハ、子供サンガアッタネ。 秋ニナルト、肌ガカワイテ、ナツカシ・・・ 太宰治 「ア、秋」
・・・まったく黙殺ときめてしまって、手紙を二つに裂き、四つに裂き、八つに裂いて紙屑入れに、ひらひら落した。そのとき、あの人が異様に蒼ざめて、いきなり部屋に入って来たのだ。「どうしたの。」「見つかった、感づかれた。」あの人は無理に笑ってみせ・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・子供のおやつ、子供のおもちゃ、子供の着物、子供の靴、いろいろ買わなければならぬお金を、一夜のうちに紙屑の如く浪費すべき場所に向って、さっさと歩く。これがすなわち、私の子わかれの場なのである。出掛けたらさいご、二日も三日も帰らない事がある。父・・・ 太宰治 「父」
・・・ ジャンパーのポケットに手をつっ込むと、おびただしい紙屑が指先に当る。何だろう。はっと気がつく。金だ。ほのぼのと救われる。よし、遊ぼう。鶴は若い男である。 東京駅下車。ことしの春、よその会社と野球の試合をして、勝って、その時、上役に・・・ 太宰治 「犯人」
・・・お金をずいぶん欲しがっているくせに、わざとぞんざいに扱ってみせて、こんなものは紙屑同然だとおっしゃる、罰が当りますよ、どんなお札にだって菊の御紋が付いているんですよ、でもまあ、そうしてお金だけで事をすましてくれるお百姓さんはまだいいほうで、・・・ 太宰治 「やんぬる哉」
・・・何の関係もない色々の工場で製造された種々の物品がさまざまの道を通ってある家の紙屑籠で一度集合した後に、また他の家から来た屑と混合して製紙場の槽から流れ出すまでの径路に、どれほどの複雑な世相が纏綿していたか、こう一枚の浅草紙になってしまった今・・・ 寺田寅彦 「浅草紙」
出典:青空文庫