・・・作の力、生命などと云うものは素人にもわかる。だからトルストイやドストエフスキイの翻訳が売れるのだ。ほんとうの批評家にしか分らなければ、どこの新劇団でもストリンドベルクやイブセンをやりはしない。作の力、生命を掴むばかりでなく、技巧と内容との微・・・ 芥川竜之介 「江口渙氏の事」
・・・もっともわたしは素人ですから、小説になるかどうかはわかりません。ただこの話を聞いた時にちょうど小説か何か読んだような心もちになったと言うだけのことです。どうかそのつもりで読んで下さい。 何でも明治三十年代に萩野半之丞と言う大工が一人、こ・・・ 芥川竜之介 「温泉だより」
・・・芸術家というものの立場より言うならば第一の種類の人は最も敬うべき純粋な芸術家であり、第二の種類の人は、芸術家としては、いわゆる素人芸術家をもって目さるべきものであり、第三の種類の人は悪い意味の大道芸人とえらぶ所がない人である。 ところで・・・ 有島武郎 「広津氏に答う」
・・・…… 矢藤老人――ああ、年を取った伊作翁は、小浜屋が流転の前後――もともと世功を積んだ苦労人で、万事じょさいのない処で、将棊は素人の二段の腕を持ち、碁は実際初段うてた。それ等がたよりで、隠居仕事の寮番という処を、時流に乗って、丸の内・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・むかしものの物好で、稽古を積んだ巧者が居て、その人たち、言わば素人の催しであろうも知れない。狸穴近所には相応しい。が、私のいうのは流儀の事ではない。曲である。 この、茸―― 慌しいまでに、一樹が狂言を見ようとしたのも、他のどの番組で・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ 三予はこう思ったことがある、茶人は愚人だ、其証拠には素人にロクな著述がない、茶人の作った書物に殆ど見るべきものがない、殊に名のある茶人には著書というもの一冊もない、であるから茶人というものは愚人である、茶は面白いが茶・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・あおむけに寝かして心臓音を聞いてみた。素人ながらも、何ら生ある音を聞き得ない。水を吐いたかと聞けば、吐かないという。しかし腹に水のあるようすもない。どうする詮も知らずに着物をあたためてはあてがい、あたためてはあてがってるのみ、家じゅう皆立っ・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・友人の紹介で、ある寺の一室を借りるつもりであったのだが、たずねて行って見ると、いろいろ取り込みのことがあって、この夏は客の世話が出来ないと言うので、またその住持の紹介を得て、素人の家に置いてもらうことになった。少し込み入った脚本を書きたいの・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・が、素人眼には下手で小汚なかったから、自然粗末に扱われて今日残ってるものは極めて稀である。椿岳歿後、下岡蓮杖が浅草絵の名を継いで泥画を描いていたが、蓮杖のは椿岳の真似をしたばかりで椿岳の洒脱と筆力とを欠き、同じ浅草絵でも椿岳のとは似て非なる・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・あアいう型に陥った大歌舞伎では型の心得のない素人役者では見得を切って大向うをウナらせる事は出来ないから、まるきり型や振事の心得のない二葉亭では舞台に飛出しても根ッから栄えなかったろうが、沈惟敬もどきの何とかいう男がクロンボを勤めてるよりも舞・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
出典:青空文庫