・・・ある川のふちの泥の中にころがりながら、川楊の木の空を見ていると、母親の裙子だの、女の素足だの、花の咲いた胡麻畑だのが、はっきりその空へ見えたと云うのだが。」 木村少佐は葉巻を捨てて、珈琲茶碗を唇へあてながら、テエブルの上の紅梅へ眼をやっ・・・ 芥川竜之介 「首が落ちた話」
・・・それから素足の指先にそっと絨氈を撫でまわした。絨氈の与える触覚は存外毛皮に近いものだった。「この絨氈の裏は何色だったかしら?」――そんなこともわたしには気がかりだった。が、裏をまくって見ることは妙にわたしには恐しかった。わたしは便所へ行った・・・ 芥川竜之介 「夢」
・・・思わず身をすり寄せて、素足のままのフランシスの爪先きに手を触れると、フランシスは静かに足を引きすざらせながら、いたわるように祝福するように、彼女の頭に軽く手を置いて間遠につぶやき始めた。小雨の雨垂れのようにその言葉は、清く、小さく鋭く、クラ・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・――紅地金襴のさげ帯して、紫の袖長く、衣紋に優しく引合わせたまえる、手かさねの両の袖口に、塗骨の扇つつましく持添えて、床板の朽目の青芒に、裳の紅うすく燃えつつ、すらすらと莟なす白い素足で渡って。――神か、あらずや、人か、巫女か。「――そ・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・し、唐繻子の襟を掛て、赤地に白菊の半襟、緋鹿の子の腰巻、朱鷺色の扱帯をきりきりと巻いて、萌黄繻子と緋の板じめ縮緬を打合せの帯、結目を小さく、心を入れないで帯上は赤の菊五郎格子、帯留も赤と紫との打交ぜ、素足に小町下駄を穿いてからからと家を。・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・令夫人は、駒下駄で圧えても転げるから、褄をすんなりと、白い足袋はだし、それでも、がさがさと針を揺り、歯を剥いて刎ねるから、憎らしい……と足袋もとって、雪を錬りものにしたような素足で、裳をしなやかに、毬栗を挟んでも、ただすんなりとして、露に褄・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・五ツになるのと七ツになる幼きものどもが、わがままもいわず、泣きもせず、おぼつかない素足を運びつつ泣くような雨の中をともかくも長い長い高架の橋を渡ったあわれさ、両親の目には忘れる事のできない印象を残した。 もう家族に心配はいらない。これか・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・あの子は容易に素足にならなかったから下駄をはいて池へはいったかどうか、池のどのへんからはいったか、下駄などが池に浮いてでもいるか、あなたちょっと池を見て下さい」 妻のいうままに自分は提灯を照らして池を見た。池には竹垣をめぐらしてある。東・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・ すると不思議なことには、ちょうどその日から、町へ見慣れないようすをした十か十一ぐらいの年ごろの子供が、体に破れた着物を着て、しかも霏々として雪の降るなかに、素足で足の指を赤くして、手に一つのかごを下げて町の中を歩いていました。町の人々・・・ 小川未明 「黒い旗物語」
・・・村の人たちは、髪を乱して、素足でうたって歩くおきぬを見ました。「ねんねん、ころころ、ねんねしな。なかんで、いい子だ、ねんねしな。」 子供を失った悲しみから、気の狂ったおきぬは、昼となく、夜となく、こうしてうたいながら、村・・・ 小川未明 「谷にうたう女」
出典:青空文庫