・・・を二回も筆写し、真冬に午前四時に起き、素足で火鉢もない部屋で小説を書くということであり、このような斎戒沐浴的文学修業は人を感激させるものだが、しかし、「暗夜行路」を筆写したり暗記したりする勉強の仕方は、何だかみそぎを想わせるような古い方法で・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・四十位のみすぼらしい女で、この寒いのに素足に藁草履をはいていた。げっそりと痩せて青ざめた顔に、落ちつきのない表情を泛べ乍ら、「あのう、一寸おたずねしますが、荒神口はこの駅でしょうか」「はあ――?」「ここは荒神口でしょうか」「・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・そこへも緑は影を映して、美しく洗われた花崗岩の畳石の上を、また女の人の素足の上を水は豊かに流れる。 羨ましい、素晴しく幸福そうな眺めだった。涼しそうな緑の衝立の蔭。確かに清冽で豊かな水。なんとなく魅せられた感じであった。きょ・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・と家内に一言して、餌桶と網魚籠とを持って、鍔広の大麦藁帽を引冠り、腰に手拭、懐に手帳、素足に薄くなった薩摩下駄、まだ低くならぬ日の光のきらきらする中を、黄金色に輝く稲田を渡る風に吹かれながら、少し熱いとは感じつつも爽かな気分で歩き出した・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・その短い上着のまま、早い桃の実の色した素足を脛のあたりまであらわしながら、茶の間を歩き回るなぞも、今までの私の家には見られなかった図だ。 この娘がぱったり洋服を着なくなった。私も多少本場を見て来たその自分の経験から、「洋服のことならとう・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・あの小山の家の方で、墓参りより外にめったに屋外に出たことのないようなおげんに取っては、その川岸は胸一ぱいに好い空気を呼吸することの出来る場所であり、透きとおるような冷い水に素足を浸して見ることも出来る場所であった。おげんがその川岸から拾い集・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・初夏のころで、少年は素足に麻裏草履をはきました。そこまでは、よかったのですが、ふと少年は妙なことを考えました。それは股引に就いてでありました。紺の木綿のピッチリした長股引を、芝居の鳶の者が、はいているようですけれど、あれを欲しいと思いました・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
・・・でたり引っぱったり、さまざまに白足袋をなだめさすり、少しずつ少しずつ足にかぶせて、額ににじみ出る汗をハンケチで拭いてはまたも無言で足袋にとりかかり、周囲が真暗な気持で、いまはもうやけくそになり、いっそ素足で式台に上りこみ、大声上げて笑おうか・・・ 太宰治 「佳日」
・・・それが、足袋をはいてだと、それほどでもないが、素足のままだと特別にひどいようである。 はき物でさえ、そうしてはき物の大きさや素材のこんな些細な変化でさえ、新しいものに適応するということの難儀さかげんがこれほどまでに感じられるのである。過・・・ 寺田寅彦 「試験管」
・・・近づいて見ると素足に草履をはいている。そうして足の指の爪を毒々しいまっかな色に染めているのであった。なんとも言われぬ恐ろしい気持ちがした。何かしら獣か爬虫のうちによく似た感じのものがあるのを思い出そうとして思い出せなかった。 近ごろある・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
出典:青空文庫