・・・○○師団長も終に怒った。軍隊の命令は、総て、天皇陛下のお言渡しと心得ろと然う言って叱って返した。秋山さんも、何うも為方がねえ。 尤も奥さんの綾子さんの方でも、随分気はつけていた。遺書のようなものを、肌を離さずに持っていたのを、どうかした・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・ 銀座通の繁華が京橋際から年と共に新橋辺に移り、遂に市中第一の賑いを誇るようになったのも明治の末、大正の初からである。ブラヂルコーヒーが普及せられて、一般の人の口に味われるようになったのも、丁度その時分からで、南鍋町と浅草公園とにパウリ・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・我という個霊の消え失せて、求むれども遂に得がたきを、驚きて迷いて、果ては情なくてかくは乱るるなり。我を司どるものの我にはあらで、先に見し人の姿なるを奇しく、怪しく、悲しく念じ煩うなり。いつの間に我はランスロットと変りて常の心はいずこへか喪え・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・自己の能力を疑いつつも、遂に哲学に定めてしまった。四高の学生時代というのは、私の生涯において最も愉快な時期であった。青年の客気に任せて豪放不羈、何の顧慮する所もなく振舞うた。その結果、半途にして学校を退くようになった。当時思うよう、学問は必・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・お前が作った車、お前に奉仕した車が、終に、車までがおまえの意のままにはならなくなってしまうんだ。 だが、今は一切がお前のものだ。お前はまだ若い。英国を歩いていた時、ロシアを歩いていた時分は大分疲れていたように見えたが、海を渡って来てから・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・父母寵愛して恣に育ぬれば、夫の家に行て心ず気随にて夫に疏れ、又は舅の誨へ正ければ堪がたく思ひ舅を恨誹り、中悪敷成て終には追出され恥をさらす。女子の父母、我訓なきことを謂ずして舅夫の悪きことのみ思ふは誤なり。是皆女子の親の教なきゆゑなり。・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・其故如何と尋るに、実際箇々の人に於ては各々自然に備わる特有の形ありて、夫の人の意も之が為に妨げられ遂に全く見われ難きによるなり。故曰、形は偶然のものにして変更常ならず、意は自然のものにして万古易らず。易らざる者は以て当にすべし、常ならざる者・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
・・・と仰せられると見て夢はさめた、犬はこのお告に力を得て、さらば諸国の霊場を巡礼して、一は、自分が喰い殺したる姨の菩提を弔い、一は、人間に生れたいという未来の大願を成就したい、と思うて、処々経めぐりながら終に四国へ渡った、ここには八十八個所の霊・・・ 正岡子規 「犬」
・・・そして図書館の二階で、毎日黄いろに古びた写本をしらべているうちに、遂にこういういいことを見附けました。「一、山男紫紺を売りて酒を買い候事、山男、西根山にて紫紺の根を掘り取り、夕景に至りて、ひそかに御城下(盛岡へ立ち出で候上、材木町生・・・ 宮沢賢治 「紫紺染について」
・・・めいめいの財布は空となって、遂にほうり出されている形である。闇の循環で、細々生きているような生命の扱いかたをどんな婦人がよろこばしいと思うだろう。 婦人の道徳の頽廃が歎かれている。しかし、これとても、一方では、食物につながった社会問題な・・・ 宮本百合子 「合図の旗」
出典:青空文庫