・・・遠くにちらつく燈火を目当に夜道を歩み、空腹に堪えかねて、見あたり次第、酒売る家に入り、怪しげな飯盛の女に給仕をさせて夕飯を食う。電燈の薄暗さ。出入する客の野趣を帯びた様子などに、どうやら『膝栗毛』の世界に這入ったような、いかにも現代らしくな・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・自分はとうとう待ち切れず一人膳に向かった。給仕に出た女が、招魂祭でどこの宿屋でもこみ合っているとか、町ではいろいろの催しがあるとか、佐野さんも今晩はきっとどこかへお呼ばれなすったんでしょうとか言うのを聞きながら、ビールを一、二はいのんだ。下・・・ 夏目漱石 「手紙」
これは楽友館の給仕が話したのを誰かが書いたものらしい、而もそれは大分以前のことであろう。 初夏の或晩、楽友館の広間に、皓々と電燈がかがやいて、多くの人々が集った。この頃よくある停年教授の慰労会が催されるの・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・すると、私の声と同時に、給仕でも飛んで出て来るように、二人の男が飛んで出て来て私の両手を確りと掴んだ。「相手は三人だな」と、何と云うことなしに私は考えた。――こいつあ少々面倒だわい。どいつから先に蹴っ飛ばすか、うまく立ち廻らんと、この勝負は・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
脚本作者ピエエル・オオビュルナンの給仕クレマンが、主人の書斎の戸を大切そうに開いた。ちょうど堂守が寺院の扉を開くような工合である。そして郵便物を載せた銀盤を卓の一番端の処へ、注意してそっと置いた。この銀盤は偶然だが、実際あ・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・声す忍冬の花散るたびに青梅に眉あつめたる美人かな牡丹散て打ち重りぬ二三片唐草に牡丹めでたき蒲団かな引きかふて耳をあはれむ頭巾かな緑子の頭巾眉深きいとほしみ真結びの足袋はしたなき給仕かな歯あらはに筆の氷を噛む夜かな・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・おまけに給仕がテーブルのはじの方で新らしいお酒の瓶を抜いたときなどは山男は手を長くながくのばして横から取ってしまってラッパ呑みをはじめましたのでぶるぶるふるえ出した人もありました。そこで研究会の会長さんは元来おさむらいでしたから考えました。・・・ 宮沢賢治 「紫紺染について」
・・・、「工場から」、「工場の歌」、「脂」、「給仕修業」などのように、今日の日本に生きる勤労大衆の生活の歴史的な一つの道行き、過程をうたったものが、一つ二つでなくあることです。私は昔万葉集や金槐集などを読み、なかなか感心したものです。きょう、短歌・・・ 宮本百合子 「歌集『集団行進』に寄せて」
・・・お為着せの白服を着た給仕の側を通って、自分の机の処へ行く。先きへ出ているものも、まだ為事には掛からずに、扇などを使っている。「お早う」位を交換するのもある。黙って頤で会釈するのもある。どの顔も蒼ざめた、元気のない顔である。それもそのはずであ・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・膳が出ると、夫人が漱石と私との間にすわって給仕をしてくれられた。夫人は当時三十六歳で、私の母親よりは十歳年下であったが、その時には何となく母親に似ているように感じた。体や顔の太り具合が似ていたのかもしれない。かすかにほほえみを浮かべながら、・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫