・・・私は親類や知人の誰彼が避暑先からよこした絵葉書などを見る度に、なんだか子供等にまだなんらかの負債をしているような心持を打消す事が出来なかった。 ある夕方一同が涼み台と縁側に集まっていろんな話をしている間に、去年みんなである夜銀座へ行って・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
・・・正札を見ると百二十円とあった。絵葉書屋へはいったら一面に散らした新年のカードの中には売れ残りのクリスマスカードもあった。誰に贈るあてもないが一枚を五十銭で買った。水菓子屋の目さめるような店先で立止って足許の甘藍を摘んでみたりしていたが、とう・・・ 寺田寅彦 「まじょりか皿」
・・・私たちは長閑な海を眺めながら、絵葉書などを書いた。 するうち料理が運ばれた。「へえ、こんなところで天麩羅を食うんだね」私はこてこて持ちだされた食物を見ながら言った。「それああんた、あんたは天麩羅は東京ばかりだと思うておいでなさる・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・壁際につッた別の棚には化粧道具や絵葉書、人形などが置かれ、一輪ざしの花瓶には花がさしてある。わたくしは円タクの窓にもしばしば同じような花のさしてあるのを思い合せ、こういう人たちの間には何やら共通な趣味があるような気がした。 上框の板の間・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・ 巴里輸入の絵葉書に見るが如き書割裏の情事の、果してわが身辺に起り得たか否かは、これまたここに語る必要があるまい。わたしの敢えて語らんと欲するのは、帝国劇場の女優を中介にして、わたしは聊現代の空気に触れようと冀ったことである。久しく薗八・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・ この二、三日方々から頻に絵葉書が来る。谷川を前にした温泉宿や松の生えた海辺の写真が来る。友達は皆例の如く避暑に出かけたのだ。しかし自分はまだ何処へも行こうという心持にはならない。 縁先の萩が長く延びて、柔かそうな葉の面に朝露が水晶・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・門をはいると左手に瓦葺の一棟があって其縁先に陶器絵葉書のたぐいが並べてある。家の前方平坦なる園の中央は、枯れた梅樹の伐除かれた後朽廃した四阿の残っている外には何物もない。中井碩翁が邸址から移し来ったという石の井筒も打棄てられたまま、其来歴を・・・ 永井荷風 「百花園」
・・・ 十一月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より〕 この絵葉書をみたら、昔ここへ来た時のことを思い出し、空気のかわいたカランとした感じがとらえられていると思いました。 今日セルとメリンス襦袢がつきました。庭の青桐や・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・イースタン・アンド・オリエンタルホテルの絵葉書。父のほかに「いが栗老人」などと自署された他の人々の寄書がある。ホテルの木立の間に父の筆で、雲を破って輝き出した満月の絵が描加えられてある。父は当時いつも「無声」という号をつかい、隷書のような書・・・ 宮本百合子 「中條精一郎の「家信抄」まえがきおよび註」
・・・ 自分で書いたらしい首人形のついた絵葉書に京子からこんな便があった。 貴方にうっかり見せられないほど―― その文句を見て千世子は一人笑いを長い事した。 自分の性質をよく知って居る京子がうっかり見せられないと云うの・・・ 宮本百合子 「千世子(二)」
出典:青空文庫