・・・もう一口説明しますと、西洋の開化は行雲流水のごとく自然に働いているが、御維新後外国と交渉をつけた以後の日本の開化は大分勝手が違います。もちろんどこの国だって隣づき合がある以上はその影響を受けるのがもちろんの事だから吾日本といえども昔からそう・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・明治の維新後県立の中学に変わった。その時分には県下に二つしか中学がなかったので、その中学もすばらしく大きい校舎と、兵営のような寄宿舎とを持つほど膨張した。 中学は山の中にあった。運動場は代々木の練兵場ほど広くて、一方は県社○○○神社に続・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・近くは三十年前の王政維新は、徳川政府の門閥圧制を厭うて其悪弊を矯めんとし、天下に大波瀾を起して其結果遂に目出度く新日本を見たることなり。当時若し社会の秩序云々に躊躇したらんには、吾々日本国民は今日尚お門閥の下に匍匐することならん。左れば今婦・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・すると、私がずっと子供の時分からもっていた思想の傾向――維新の志士肌ともいうべき傾向が、頭を擡げ出して来て、即ち、慷慨憂国というような輿論と、私のそんな思想とがぶつかり合って、其の結果、将来日本の深憂大患となるのはロシアに極ってる。こいつ今・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・彼がわずかに王政維新の盛典に逢うを得たるはいかばかりうれしかりけむ。慶応四年春、浪華に行幸あるに吾宰相君御供仕たまへる御とも仕まつりに、上月景光主のめされてはるばるのぼりけるうまのはなむけに天皇の御さきつかへてた・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・丁度お前達の方のご維新前ね、日詰の近くに源五沼という沼があったんだ。そのすぐ隣りの草はらで、僕等は五人でサイクルホールをやった。ぐるぐるひどくまわっていたら、まるで木も折れるくらい烈しくなってしまった。丁度雨も降るばかりのところだった。一人・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・彼女は、曾祖母が維新前、十六でお嫁に行く時、人形を籠の中で抱いて行ったと云う話を思い出した。 今の時代の十九の、故郷を出奔した娘が此那大きな人形を抱いて来ると想像出来ようか。いじらしいような心持と、わざとらしさを嫌う心持が交々さほ子の心・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・それを維新の時、先代が殆ど縁を切ったようにして、家の葬祭を神官に任せてしまった。それからは仏と云うものとも、全く没交渉になって、今は祖先の神霊と云うものより外、認めていない。現に邸内にも祖先を祭った神社だけはあって、鄭重な祭をしている。とこ・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・足利時代からあったお城は御維新のあとでお取崩しになって、今じゃ塀や築地の破れを蔦桂が漸く着物を着せてる位ですけれど、お城に続いてる古い森が大層広いのを幸いその後鹿や兎を沢山にお放しになって遊猟場に変えておしまいなさり、また最寄の小高見へ別荘・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
・・・すなわち維新の原動力となった尊皇の情熱を、維新の当時に吹き込まれた。言いかえれば、政治の実権を武士階級の手に奪われてただ名目上の主権者に過ぎなかった皇室、その皇室に対する情熱を吹き込まれた。かくて父は、ちょうど頼山陽がそうであったように、足・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
出典:青空文庫