・・・ 鴎外が博物館総長の椅子に坐るや、世間には新館長が積弊を打破して大改革をするという風説があった。丁度その頃、或る処で鴎外に会った時、それとなく噂の真否を尋ねると、なかなかソンナわけには行かないよ、傍観者は直ぐ何でも改革出来るように思・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・とあたかも軍令部長か参謀総長でもあるかのようなプライドが満面に漲っていた。恐らくこの歓喜を一人で味ってられないで、周章てて飛んで来たのであろう。九 二葉亭の破壊力 二葉亭に親近した或る男はいった。「二葉亭は破壊者であって、人・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・大正十二年関東大震災以前から既に地震学に興味をもっていたが、大震災の惨害を体験した動機から、地震に対する特殊の研究機関の必要を痛感し、時の総長古在由直氏に進言し、その後援の下に懸命の努力をもって奔走した結果、遂に東京帝国大学附属地震研究所の・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・このあいだ○○帝大総長が帰る時は八挺艪の漁船を仕立てて送ったのだという。 宅へ沙汰なしでうっかりこんな所へ来てしまって、いつ帰られるかわからないことになって、これは困ったことができたと思って、黒い海面のかなたの雲霧の中をながめていたら目・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・自分よりはずっと前にドイツへ来ていて他の大学からベルリンへ転学して来たそうで言葉なども自由らしかった。総長の演説があったが何を云っているか自分にはちっとも分らないので少々心細くなった。それから新入生一人一人に総長が握手をするというので、一列・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
・・・その後ウェストミンスター・アベーに記念の標石を納めようという提議が大学総長や王立協会会長などの間に持出され、その資金が募集された。標石の上の方には横顔を刻したメダリオンが付いている。レーリーの私淑したと思わるるトーマス・ヤングの記念標と丁度・・・ 寺田寅彦 「レーリー卿(Lord Rayleigh)」
・・・「おれは電気総長だよ。」 恭一も少し安心して「電気総長というのは、やはり電気の一種ですか。」とききました。するとじいさんはまたむっとしてしまいました。「わからん子供だな。ただの電気ではないさ。つまり、電気のすべての長、長とい・・・ 宮沢賢治 「月夜のでんしんばしら」
・・・彼の帝国博物館総長図書頭という官職は果して彼の文学的達成にプラスとなっているのみであろうか。伝記を読むと彼はその官職に就いて辞令をうけた日、従来一個の文学者としての立場からその学芸欄に関係を持っていた諸新聞と、改めて関係を断っている。このよ・・・ 宮本百合子 「今日の文学の鳥瞰図」
・・・ 南原東大総長がワシントンの会議で、「民族とその文化の独立のためには、世界平和が確立されなければならず、そのために役立つ平和な日本の政治的独立が必要である」といったことは、日本人の真情を告げるものであるとして内外からうけとられている。・・・ 宮本百合子 「しようがない、だろうか?」
・・・3、南原総長の抗議を支持します。4、南原氏を抑えても、生きている人間の理性と税をはらって役人を生活させている人民の判断はころせません。〔一九五〇年八月〕 宮本百合子 「戦争・平和・曲学阿世」
出典:青空文庫