・・・するとそこに縫いこまれた、四五枚の地図と秘密書類が、たちまちばらばらと床の上に落ちた。二人の支那人はそれを見ると、さすがに顔の色を失ってしまった。が、やはり押し黙ったまま、剛情に敷瓦を見つめていた。「そんな事だろうと思っていた。」 ・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・私はその人の間を縫いながら、便所から帰って参りましたが、あの弧状になっている廊下が、玄関の前へ出る所で、予期した通り私の視線は、向うの廊下の壁によりかかるようにして立っている、妻の姿に落ちました。妻は、明い電燈の光がまぶしいように、つつまし・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・婆やは八っちゃんのおちゃんちゃんを急いで縫い上ますからね」 といいながら、せっせと縫物をはじめた。 僕はその時、白い石で兎を、黒い石で亀を作ろうとした。亀の方は出来たけれども、兎の方はあんまり大きく作ったので、片方の耳の先きが足りな・・・ 有島武郎 「碁石を呑んだ八っちゃん」
・・・ ――あれから菜畑を縫いながら、更に松山の松の中へ入ったが、山に山を重ね、砂に砂、窪地の谷を渡っても、余りきれいで……たまたま落ちこぼれた松葉のほかには、散敷いた木の葉もなかった。 この浪路が、気をつかい、心を尽した事は言うまでもな・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・その草の中を、あたかも、ひらひら、と、ものの現のように、いま生れたらしい蜻蛉が、群青の絹糸に、薄浅葱の結び玉を目にして、綾の白銀の羅を翼に縫い、ひらひら、と流の方へ、葉うつりを低くして、牡丹に誘われたように、道を伝った。 またあまりに儚・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ 絨毯を縫いながら、治兵衛の手の大小刀が、しかし赤黒い電燈に、錆蜈蚣のように蠢くのを、事ともしないで、「何が、犬にも牙がありゃ、牛にも角があるだあね。こんな人間の刃ものなんぞ、どうするかね。この馬鹿野郎。それでも私が来ねえと、大事な・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・ 例のごとくふわふわと両三度土間の隅々を縫いましたが、いきなり俯けになっているお雪の顔へ、顔を押当て、翼でその細い項を抱いて、仰向けに嘴でお雪の口を圧えまして、すう、すうと息を吸うのでありまする。 これを見せられた小宮山は、はッと思・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・丁度同じ頃、その頃流行った黒無地のセルに三紋を平縫いにした単羽織を能く着ていたので、「大分渋いものを拵えたネ、」と褒めると、「この位なものは知ってるサ、」と頗る得々としていた。四 俗曲趣味 二葉亭は江戸ッ子肌であった。あの厳・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ 帰り途、二つ井戸下大和橋東詰で三色ういろと、その向いの蒲鉾屋で、晩のお菜の三杯酢にする半助とはんぺんを買って、下寺町のわが家に戻ると、早速亭主の下帯へこっそりいもりの一匹を縫いこんで置き、自分もまた他の一匹を身に帯びた。 ちかごろ・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・豊吉は墓の間を縫いながら行くと、一段高いところにまた数十の墓が並んでいる、その中のごく小さな墓――小松の根にある――の前に豊吉は立ち止まった。 この墓が七年前に死んだ「並木善兵衛之墓」である、「杉の杜の髯」の安眠所である。 この日、・・・ 国木田独歩 「河霧」
出典:青空文庫