・・・張園の木の間に桂花を簪にした支那美人が幾輛となく馬車を走らせる光景。また、古びた徐園の廻廊に懸けられた聯句の書体。薄暗いその中庭に咲いている秋花のさびしさ。また劇場や茶館の連った四馬路の賑い。それらを見るに及んで、異国の色彩に対する感激はま・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・「わしは歌麻呂のかいた美人を認識したが、なんと画を活かす工夫はなかろか」とまた女の方を向く。「私には――認識した御本人でなくては」と団扇のふさを繊い指に巻きつける。「夢にすれば、すぐに活きる」と例の髯が無造作に答える。「どうして?」「わしの・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・ 吉里は二十二三にもなろうか、今が稼ぎ盛りの年輩である。美人質ではないが男好きのする丸顔で、しかもどこかに剣が見える。睨まれると凄いような、にッこりされると戦いつきたいような、清しい可愛らしい重縁眼が少し催涙で、一の字眉を癪だというあん・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ ここに明鏡あらん。美人を写せば美人を反射し、阿多福を写せば阿多福を反射せん。その醜美は鏡によりて生ずるに非ず、実物の持前なり。人民もし反射の阿多福を見てその厭うべきを知らば、自から装うて美人たらんことを勉むべし。無智の人民を集めて盛大・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・自分がイソダンで識っていた時は未亡人でいた美人である。それが自分のパリイに出たあとで再縁して、今ではマドレエヌ・ジネストと名告っている。スウルヂェエにしろ、ジネストにしろ、いずれも誰にも知られない平民的な苗字で目下自分の交際している貴夫人何・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・手を敲けば盃酒忽焉として前に出で財布を敲けば美人嫣然として後に現る。誰かはこれを指して客舎という。かかる客舎は公共の別荘めきていとうるさし。幾里の登り阪を草鞋のあら緒にくわれて見知らぬ順礼の介抱に他生の縁を感じ馬子に叱られ駕籠舁に嘲られなが・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・さっきも云った隣との区切りの唐紙が、普通の襖紙で貼ってなく、新聞の附録の古くさい美人画や新聞や、そこらに落こちていた雑誌の屑のようなもので貼られていた。幾年か昔、この長屋が始めて建ったときには、そこだってきっとおばさん達のいる方のように、茶・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・予は僅に二三の京阪の新聞紙を読んで、国の中枢の崇重しもてはやす所の文章の何人の手に成るかを窺い知るに過ぎぬので、譬えば簾を隔てて美人を見るが如くである。新聞紙の伝うる所に依れば、先ず博文館の太陽が中天に君臨して、樗牛が海内文学の柄を把って居・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・今柳橋で美人に拝まれる月も昔は「入るべき山もなし」、極の素寒貧であッた。実に今は住む百万の蒼生草,実に昔は生えていた億万の生草。北は荒川から南は玉川まで、嘘もない一面の青舞台で、草の楽屋に虫の下方,尾花の招引につれられて寄り来る客は狐か、鹿・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・ですがその奥さまというのが、僕のためにはナンともいえない好い方で、その方の事を考えても、話にしても、何だか妙に嬉しいような悲しいような心持がして来るんです。美人といえばそれまでですが、僕はあんな高尚な、天人のような美人は見た事がないんです。・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
出典:青空文庫