・・・動物の群集にもあれ、人間の社会にもあれ、この二者のつねに矛盾・衝突すべき事情のもとにあるものは滅亡し、一致・合同しえたるものは繁栄していくのである。 そして、この一致・合同は、つねに自己保存が種保存の基礎であり、準備であることによってお・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・於て屡ば矛盾もし衝突もした、然し此矛盾・衝突は唯だ四囲の境遇の為めに余儀なくせられ、若くば養成せられたので、其本来の性質ではない、否な彼等は完全に一致・合同し得べき者、させねばならぬものである、動物の群集にもあれ、人間の社会にもあれ、此二者・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・とたんに、群集のバンザイが、部屋の障子が破れるばかりに強く響いた。 皇太子殿下、昭和八年十二月二十三日御誕生。その、国を挙げてのよろこびの日に、私ひとりは、先刻から兄に叱られ、私は二重に悲しく、やりきれなくていたのである。兄は、落ちつき・・・ 太宰治 「一燈」
・・・私はあの人に説教させ、群集からこっそり賽銭を巻き上げ、また、村の物持ちから供物を取り立て、宿舎の世話から日常衣食の購求まで、煩をいとわず、してあげていたのに、あの人はもとより弟子の馬鹿どもまで、私に一言のお礼も言わない。お礼を言わぬどころか・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・敵の捨てて遁げた汚い洋館の板敷き、八畳くらいの室に、病兵、負傷兵が十五人、衰頽と不潔と叫喚と重苦しい空気と、それにすさまじい蠅の群集、よく二十日も辛抱していた。麦飯の粥に少しばかりの食塩、よくあれでも飢餓を凌いだ。かれは病院の背後の便所を思・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・出来るならば、この都会の群集と雑沓との中に巧みにまぎれ込んで了いたいと思った。しかしそれは矢張徒労であった。一週間と経たない中に刑事は其処にもやって来ていた。勇吉はわくわく震えた。 田山花袋 「トコヨゴヨミ」
・・・ 映画で、まず群集を現わし、次にカメラを近づけてその中のヒーローを抽出し、クローズアップに映出して「紹介」する。連句でもたとえば、「入りごみに諏訪の涌湯の夕まぐれ」「中にもせいの高い山ぶし」は全くこの手法によったものである。 映画で・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・悪口を云われる方では辛抱して罵詈の嵐を受け流しているのを、後に立っている年寄の男が指で盆の窪を突っついてお辞儀をさせる、取巻いて見物している群集は面白がってげらげら笑い囃し立てる、その観客の一人一人のクローズアップの中からも吾々はいくらも故・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
・・・まだ六ツか七ツの時分、芝の増上寺から移ってこの伝通院の住職になった老僧が、紫の紐をつけた長柄の駕籠に乗り、随喜の涙に咽ぶ群集の善男善女と幾多の僧侶の行列に送られて、あの門の下を潜って行った目覚しい光景に接した事があった。今や Dmocrat・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・車は八重に重る線路の上をガタガタと行悩んで、定めの停留場に着くと、其処に待っている一団の群集。中には大きな荷物を脊負った商人も二、三人交っていた。 例の上り降りの混雑。車掌は声を黄くして、「どうぞ中の方へ願います。あなた、恐入ります・・・ 永井荷風 「深川の唄」
出典:青空文庫