・・・それには勿論同輩の嫉妬や羨望も交っていた。が、彼を推挙した内藤三左衛門の身になって見ると、綱利の手前へ対しても黙っている訳には行かなかった。そこで彼は甚太夫を呼んで、「ああ云う見苦しい負を取られては、拙者の眼がね違いばかりではすまされぬ。改・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・しかしどうも失恋した彼に、――たとい失恋したにもせよ、とにかく叔父さんの娘のある彼に羨望を感じてならなかった。 五 彼はかれこれ半年の後、ある海岸へ転地することになった。それは転地とは云うものの、大抵は病院に暮・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・木賃宿を泊り歩いているうちに周旋屋にひっ掛って、炭坑へ行ったところ、あらくれの抗夫達がこいつ女みてえな肌をしやがってと、半分は稚児苛めの気持と、半分は羨望から無理矢理背中に刺青をされた。一の字を彫りつけられたのは、抗夫長屋ではやっていた、オ・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・私はてれ隠しと羨望の念から、起って行って自分の肩にかけてみたりした。「色が少しどうもね。……まるで芸者屋のお女将でも着そうな羽織じゃないか」風々主義者の彼も、さすが悪い気持はしないといった顔してこう言った。 私は、原口のように「それ・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・あなたが本当に烏の身の上を羨望しているのかどうか、よく調べてみるように、あたしは呉王廟の神様から内々に言いつけられていたのです。禽獣に化して真の幸福を感ずるような人間は、神に最も倦厭せられます。いちどは、こらしめのため、あなたを弓矢で傷つけ・・・ 太宰治 「竹青」
・・・「策略ということについて。」「言葉の絶対性ということについて。」「沈黙は金なりということに就いて。」「野性と暴力について。」「ダンディスム小論。」「ぜいたくに就いて。」「出世について。」「羨望について。」「原始のセンチメンタリティということ・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・わたくしは旧習に晏如としている人たちに対する軽い羨望嫉妬をさえ感じないわけには行かなかった。 三月九日の火は、事によるとこの昔めいた坊主頭の年寄をも、廓と共に灰にしてしまったかも知れない。 栄子と共にその夜すみれの店で物を食べた踊子・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・あまり水裡の時間が長いので、賞賛の声、羨望の声が、恐怖の叫びに変わった。 ついに野球のセコチャンが一人溺死した。 湖は、底もなく澄みわたった空を映して、魔の色をますます濃くした。「屠牛所の生き血の崇りがあの湖にはあるのだろう」・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・だった筈の女学生たちは寄宿舎で、ぼた餅やあんころの話に羨望した。甘いものも食い放題だし、ということは、はっきり特攻隊や予科練へ若ものをひきつける条件の一つだった。 米代りの砂糖が配給され、フィリッピンからの砂糖の話をよむとき、わたしたち・・・ 宮本百合子 「砂糖・健忘症」
・・・ C先生、斯様にして心に満ちて来る希望と祈願とは、一層此国の婦人の有する権威に羨望を感じさせます。私は、人類として、婦人が、多くの法律的権利を持つ事も、経済的智識を持つ事も政治的権利を持つ事も歓びます。彼女等の生活を忘れない賢さ、其の真・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
出典:青空文庫