・・・ただ、義経と鉄木真とを同一人にしたり、秀吉を御落胤にしたりする、無邪気な田舎翁の一人だったのである。こう思った本間さんは、可笑しさと腹立たしさと、それから一種の失望とを同時に心の中で感じながら、この上は出来るだけ早く、老人との問答を切り上げ・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・ 場所は、言った通り、城下から海岸の港へ通る二里余りの並木の途中、ちょうど真中処に、昔から伝説を持った大な一面の石がある――義経記に、……加賀国富樫と言う所も近くなり、富樫の介と申すは当国の大名なり、鎌倉殿より仰は蒙らねども、内・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・六、七歳頃から『八犬伝』の挿絵を反覆して犬士の名ぐらいは義経・弁慶・亀井・片岡・伊勢・駿河と共に諳んじていた。富山の奥で五人の大の男を手玉に取った九歳の親兵衛の名は桃太郎や金太郎よりも熟していた。したがってホントウに通して読んだのは十二、三・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・「それはあるさ、義経の八そう飛びや、ネルソンの話など、先生からいつきいてもおもしろいや。」「僕も、海の学校へいってみたいな。」「君、来年きたら連れていってあげよう。もう明日から、僕のほうの学校が始まるから。君も晩に東京へ帰るんだ・・・ 小川未明 「海の少年」
・・・ある日、その日は日曜で僕は四五人の学校仲間と小松山へ出かけ、戦争の真似をして、我こそ秀吉だとか義経だとか、十三四にもなりながらばかげた腕白を働らいて大あばれに荒れ、ついに喉が渇いてきたので、山のすぐ麓にある桂正作の家の庭へ、裏山からドヤドヤ・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・ なぜなれば、法華経は了義経であって、その他の華厳経、大日経、観経を初め、已、今、当の一切の経は不了義経である。しかるに涅槃経によれば、依テ二了義経ニ一不レレ依ラ二不了義経ニ一とある。 それ故に仏の遺言を信じるならば、専ら法華経を明・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・弟余を顧みて曰く、秀吉の時代、義経の時代、或は又た明治の初年に逢遇せざりしを恨みしは、一、二年前のことなりしも、今にしては実に当代現今に生れたりしを喜ぶ。後世少年吾等を羨むこと幾許ぞと。余、甚だ然りと答へ、ともに奮励して大いに為すあらんこと・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・むかし、このへん一帯はひろびろした海であったそうで、義経が家来たちを連れて北へ北へと亡命して行って、はるか蝦夷の土地へ渡ろうとここを船でとおったということである。そのとき、彼等の船が此の山脈へ衝突した。突きあたった跡がいまでも残っている。山・・・ 太宰治 「魚服記」
・・・と書かれてある。義経でも弁慶でもかまわない。私は、ただ、佐渡の人情を調べたいのである。そこへはいった。「お酒を、飲みに来たのです。」私は少し優しい声になっていた。さむらいでは無かった。 この料亭の悪口は言うまい。はいった奴が、ばかな・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・羽左衛門の義経を見てやさしい色白の義経を胸に画いてみたり、阪東妻三郎が扮するところの織田信長を見て、その胴間声に圧倒され、まさに信長とはかくの如きものかと、まさか、でも、それはあり得る事かも知れない。歴史小説というものが、この頃おそろしく流・・・ 太宰治 「鉄面皮」
出典:青空文庫