・・・下手におていさいをつくろって、やせ我慢して愚図々々がんばって居るよりは、どうせ失態を見られたのだ、一刻も早く脱走するのが、かえって聡明でもあり、素直だとも思われた。 かなわない気持であった。もう、これで自分も、申しぶんの無い醜態の男にな・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・歴史的は、流石に聡明な笑顔であった。「この部屋へ来る足音じゃないよ。まあ、いいからそんな見っともない真似はよしなさい。ゆっくり話そうじゃないか。」自分でも、きちんと坐り直してそう言った。痩せて小柄な男であったが、鉄縁の眼鏡の底の大きい眼や、・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・ただ記述があまりに簡略に過ぎてわかりにくい点が多いことと思われるが、そういう点についてはどうか聡明なる読者の推読をわずらわしたい。 寺田寅彦 「自然界の縞模様」
・・・おそらく聡明な彼の目には、なお飽き足らない点、補充を要する点がいくらもありはしないかという事は浅学な後輩のわれわれにも想像されない事はない。 自己批評の鋭いこの人自身に不満足と感ぜらるる点があると仮定する。そしてそれらの点までもなんらの・・・ 寺田寅彦 「相対性原理側面観」
・・・皇后陛下は実に聡明恐れ入った御方である。「浅しとてせけばあふるゝ川水の心や民の心なるらむ」。陛下の御歌は実に為政者の金誡である。「浅しとてせけばあふるゝ」せけばあふるる、実にその通りである。もし当局者が無暗に堰かなかったならば、数年前の日比・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・しかし聡明な、敏捷な思索家でいらっしゃるあなたには、わたくしの思っている事は、造做もなくお分りになりましょう。 あなたがまだ高等学校をお出になったばかりの青年で、わたくしの所へおいでになったころ、わたくしはその日の午後を楽しみにいたして・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・憎いと思いながら、聡明な忠利はなぜ弥一右衛門がそうなったかと回想してみて、それは自分がしむけたのだということに気がついた。そして自分の反対する癖を改めようと思っていながら、月がかさなり年がかさなるにしたがって、それが次第に改めにくくなった。・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・蔀君は下町の若旦那の中で、最も聡明な一人であったと云って好かろう。 この蔀君が僕の内へ来たのは、川開きの前日の午過ぎであった。あすの川開きに、両国を跡に見て、川上へ上って、寺島で百物語の催しをしようと云うのだが、行って見ぬかと云う。主人・・・ 森鴎外 「百物語」
・・・私よりも聡明な人は私よりももっとよくこの事実を呑み込んでいると思います。自分の小ささを知らない青年はとても大きく成長する事はできますまい。 しかしこの事実の認識はただ「愚痴」という形にのみ現わるべきものでないと思います。愚痴をこぼすのは・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫