・・・と私の理性が信じていても、澄み透った水音にしばらく耳を傾けていると、聴覚と視覚との統一はすぐばらばらになってしまって、変な錯誤の感じとともに、訝かしい魅惑が私の心を充たして来るのだった。 私はそれによく似た感情を、露草の青い花を眼にする・・・ 梶井基次郎 「筧の話」
・・・それかといって、人形の演技は決してこの音楽のただの伴奏ではなくて、聴覚的音楽に対する視覚的音楽の対位法であり、立派な合奏である。もっともこの関係は歌舞伎でも同様なわけであろうが、人形芝居において、それがもっとも純化され高調されているように思・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・これは聴覚に関する音楽から類推して視覚的音楽を作ろうという意図から起こったものであろうが、これはおそらく誤った類推による失敗であろうと思われる。耳は音自身を聞き、しかもこれを無意識に分析しうる特殊の能力をもっている。しかし目はその映像の中に・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・われわれは聴覚と視覚を同時に働かせる事を要求される。この場合にもしあまりに複雑な、それ自身の存在を強く主張するような音楽を持ち込んだとしたらどうであろう。おそらくわれわれの注意はその音楽のほうに吸収されて視覚のほうが消えてしまうか、あるいは・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・それで、もしも鳥が反響に対して充分鋭敏な聴覚をもっているとしたら、その反響の聴覚と自分の声の聴覚との干渉によって二つの位相次第でいろいろちがった感覚を受け取ることは可能である。あるいはまた反響は自分の声と同じ音程音色をもっているから、それが・・・ 寺田寅彦 「疑問と空想」
・・・耳と目とが同じ高さにあるのは視覚空間と聴覚空間との連絡、同格化のために便利であろうと思われる。ところが光線伝播は直線的であるので二つの目が同時に対象に向かっていなければならない。従って、二つが前面に並んでいないと不都合である。これに反して音・・・ 寺田寅彦 「耳と目」
・・・けれども前にも申した通り眼で見ようが、耳できこうが、根本的に云えば、ただ視覚と聴覚を意識するまでで、この意識が変じて独立した物とも、人ともなりよう訳がない。見るときに触るるときに、黒い制服を着た、金釦の学生の、姿を、私の意識中に現象としてあ・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・それらの話や会話は、耳の聴覚で聞くよりは、何かの或る柔らかい触覚で、手触りに意味を探るというような趣きだった。とりわけ女の人の声には、どこか皮膚の表面を撫でるような、甘美でうっとりとした魅力があった。すべての物象と人物とが、影のように往来し・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・而も、一方は無限の視覚、聴覚、味覚を以て細かく 細かく、鋭く 鋭くと生存を分解する、又組立てる。 考 創作をするにも種々な動機があると思う。或人はイブセンの如く燃え立つ自己の正義感と理想とに・・・ 宮本百合子 「初夏(一九二二年)」
・・・ 非常に鋭敏になった聴覚と視覚とが、かつては童話的興味の枯れることない源泉となっていた自然現象の全部のうちに、現実を基礎としたいろいろの神秘を見出し、自分自身を三人称で考える癖が増して来た。「彼女は今、太い毛糸針のように光る槇の葉を・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
出典:青空文庫