・・・しかし、肝心の相談となると首を傾げてしまって、唯々姉の様子を見ようとばかりしていた。おげんに言わせると、この弟達の煮え切らない態度は姉を侮辱するにも等しかった。彼女は小山の家の方の人達から鋏を隠されたり小刀を隠されたりしたことを切なく思った・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・日頃百円のものを二百円にも三百円にも廻して、現金で遊ばせて置くということも少い商人が、肝心の店の品物をすっかり焼いた上に、取引先まで焼けてしまったでは、どうしようもない。田舎へでも引込むか、ちいさくなるか――誰一人、打撃を受けないものはない・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・それで写実的な感じはするかもしれないが、線の交響楽として見た時に、肝心の第一ヴァイオリンがギーギーきしっているような感じしか与えない。これに反して、同じ北斎が自分の得意の領分へはいると同じぎざぎざした線がそこではおのずからな諧調を奏してトレ・・・ 寺田寅彦 「浮世絵の曲線」
・・・これも肝心な所が省略されているそうであるが、それでもおもしろくなくはない。牛乳びんがいっせいに充填されて行くところだとか、耕作機械の大分列式だとか、これらは子供にもおとなにも、赤にも白にも、無条件におもしろい何物かをもっている。映画のそもそ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・一つは雨夜の仮の宿で、毛布一枚の障壁を隔てて男女の主人公が舌戦を交える場面、もう一つは結婚式の祭壇に近づきながら肝心の花嫁の父親が花嫁に眼前の結婚解消をすすめる場面である。 婦人の観客は実にうれしそうに笑っていたようである。こういうアメ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・ただ一つはなはだしく不満に思われたのは、せっかくの実写に対する説明の言葉が妙に気取り過ぎていて、自分らのような観客にとっていちばん肝心の現実的な解説が省かれていることであった。たとえば場面が一転して、海上から見た島山の美しい景色が映写された・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・観客は亮の兄弟と自分らを合わせて四五人ぐらいはあったが、映画技師、説明者が同時に映画製造者を兼ねるのみならず、肝心のガラス板がやっと二枚ぐらいしか掛け替えがないのだから亮の骨折りは一通りでなかったろうと思われる。後には自分の父に頼んでもう少・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・合奏より夢の続きが肝心じゃ。――画から抜けだした女の顔は……」とばかりで口ごもる。「描けども成らず、描けども成らず」と丸き男は調子をとりて軽く銀椀を叩く。葛餅を獲たる蟻はこの響きに度を失して菓子椀の中を右左りへ馳け廻る。「蟻の夢が醒・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・何しろこんな時は気を落ちつけて寝るのが肝心だと堅く眼を閉じて見る。すると虹霓を粉にして振り蒔くように、眼の前が五色の斑点でちらちらする。これは駄目だと眼を開くとまたランプの影が気になる。仕方がないからまた横向になって大病人のごとく、じっとし・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・けれども一文芸院を設けて優にその目的が達せられるように思うならば、あたかも果樹の栽培者が、肝心の土壌を問題外に閑却しながら、自分の気に入った枝だけに袋を被せて大事を懸ける小刀細工と一般である。文芸の発達は、その発達の対象として、文芸を歓迎し・・・ 夏目漱石 「文芸委員は何をするか」
出典:青空文庫