・・・は、日露戦争に、満洲で脚気のために入院した兵卒が、病院の不潔、不衛生粗食に堪えかねて、少しよくなったのを機会に、病院を出て、自分の所属部隊のあとを追うて行く。重い脚を引きずって、銃や背嚢を持って終日歩き、ついに、兵站部の酒保の二階――たしか・・・ 黒島伝治 「反戦文学論」
・・・ 一兵卒の死の原因にしても、長途の行軍から持病の脚気が昂進したという程度で、それ以上、その原因を深く追求しないで、主人公の恐ろしい苦しみをかきながら、作者は、ある諦めとか運命とかいうものを見つけ出そうとしている。脚気は戦地病であるが、一・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・道は遠し懐中には一文も無し、足は斯の通り脚気で腫れて歩行も自由には出来かねる。情があらば助力して呉れ。頼む。斯う真実を顔にあらわして嘆願するのであった。「実は――まだ朝飯も食べませんような次第で。」 と、その男は附加して言った。・・・ 島崎藤村 「朝飯」
・・・もっと若くて、この脚気という病気さえ無かったら、私は、とうに志願しています。 私は行きづまってしまいました。具体的な理由は、申し上げません。私は、あなたの「華厳」を読み、その興奮から、二十年間の抑制を破り、思い切って手紙を書いたと前に申・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・戸田さんは毎年、秋になると脚気が起って苦しむという事も小説で知っていましたので、私のベッドの毛布を一枚、風呂敷に包んで持って行く事に致しました。毛布で脚をくるんで仕事をなさるように忠告したかったのです。私は、ママにかくれて裏口から、こっそり・・・ 太宰治 「恥」
・・・病気だ、ご覧の通りの病気で、脚気をわずらっている。鞍山站の先まで行けば隊がいるに相違ない。武士は相見互いということがある、どうか乗せてくれッて、たって頼んでも、言うことを聞いてくれなかった。兵、兵といって、筋が少ないとばかにしやがる。金州で・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・同級のI君が脚気で亡くなったので、われわれ数人の親しかった連中でその葬式に行った。南国の真夏の暑い盛りであった。町から東のO村まで二里ばかりの、樹蔭一つない稲田の中の田圃道を歩いて行った。向うへ着いたときに一同はコップに入れた黄色い飲料を振・・・ 寺田寅彦 「さまよえるユダヤ人の手記より」
・・・「あの木立は枝を卸した事がないと見える。梅雨もだいぶ続いた。よう飽きもせずに降るの」と独り言のように言いながら、ふと思い出した体にて、吾が膝頭を丁々と平手をたてに切って敲く。「脚気かな、脚気かな」 残る二人は夢の詩か、詩の夢か、ちょと解・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・数百年の久しき、日本にて医学上の新発明ありしを聞かざるのみならず、我が国に固有の難病と称する脚気の病理さえ、なお未だ詳明するを得ず。ひっきょう我が医学士の不智なるに非ず、自家の学術を研究せんとして、その時と資金とを得ざるがためなり。 わ・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・一昨年の一月から六月十三日に母の危篤により帰る迄の間に私は猛烈な心臓脚気にかかっていて、胸まで痺れ、氷嚢を当て、坐っていた。 私の心臓が慢性的に弱ったのは、この第二のことからです。その時は、オリザニンの注射その他の治療で直そうとし、・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
出典:青空文庫