・・・十日掛って脱稿すると、すぐある雑誌社へ送ったのだが、案の定検閲を通りそうになかったのである。案の定だから悲観もしなかった。「ああ、あれ、友達に貸したんじゃない?」 家人は吐きだすように言った。私がそのような小説を書くのがかねがね不平・・・ 織田作之助 「世相」
・・・暑中休暇がおわって、十月のなかば、みぞれの降る夜、ようやく脱稿した。すぐまちの印刷所へ持って行った。父は、彼の要求どおりに黙って二百円送ってよこした。彼はその書留を受けとったとき、やはり父の底意地のわるさを憎んだ。叱るなら叱るでいい、太腹ら・・・ 太宰治 「猿面冠者」
・・・ 江戸時代にあって、為永春水その年五十を越えて『梅見の船』を脱稿し、柳亭種彦六十に至ってなお『田舎源氏』の艶史を作るに倦まなかったのは、啻にその文辞の才能くこれをなさしめたばかりではなかろう。 四 築地本願寺・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・は一九三七年彼女の死ぬ年脱稿された。どの作品でも、オオドゥウは寄るべない一人の貧困な少女がこの世の荒波を凌いで、俗っぽい女の立身とはちがう人間らしさの満ちた生活を求めて、健気にたたかってゆく姿を描いているのであるが、最近出版された「マリイの・・・ 宮本百合子 「知性の開眼」
・・・ 小説家としての藤村は明治三十八年脱稿された「破戒」によって、立派な出発をした。「春」「家」「桜の実の熟する時」「新生」「嵐」、それらの間に「新片町より」「後の新片町より」「春を待ちつゝ」等の感想集をもち、十二巻の全集が既に上梓された。・・・ 宮本百合子 「藤村の文学にうつる自然」
・・・を良人にしていることは、彼女の平和と民族自立のための活動に深い必然性をあたえている。ワンダは「虹」のほかに一九三九年の夏、長篇の第一部「湿地の焔」を脱稿したが、ドイツ軍にその印刷所を占領され、やっと原稿が救われた。この作品は一九四〇年ソヴェ・・・ 宮本百合子 「ワンダ・ワシレーフスカヤ」
出典:青空文庫