・・・ドモ又の命が買いもどせるくらいの罰金を出させなけりゃ、俺たちの腹の虫は納まらないや。瀬古 そうしてそれが結局堂脇や九頭竜を教育することになるんだからなあ。いくら高く買わせたってドモ又の画は高くはないよ。こんどあいつらは生まれてはじめて・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・それから馬場を通り抜け、九段を下りて神保町をブラブラし、時刻は最う八時を過ぎて腹の虫がグウグウ鳴って来たが、なかなかそこらの牛肉屋へ入ろうといわない。とうとう明神下の神田川まで草臥れ足を引摺って来たのが九時過ぎで、二階へ通って例の通りに待た・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・私は肝をつぶし、そしてカッとなりましたが、その腹の虫を押えるために飲んだ酒と花代で、私が白浜から持ってきた金はほとんどなくなってしまい、ふらふらと桔梗屋を出たのは、あくる日の黄昏前だった。私は太左衛門橋の欄干に凭れて、道頓堀川の汚い水を眺め・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・それでも、何故か、彼は、腹の虫がおさまらなかった。憲兵が、横よこねで跛を引きながら病院へやって来たことを云って面罵してやりたかった。だが、そうすれば、今、却って、自分が損をするばかりだ。彼はそう考えた。強いて押し黙っていた。 一時間ばか・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・、まじめになったんだってね、金でもたまったんじゃないか、勉強いたしているそうだ、酒はつまらぬと言ったってね、口髭をはやしたという話を聞いたが、嘘かい、とにかく苦心談とは、恐れいったよ、謹聴々々、などと腹の虫が一時に騒ぎ出して来る仕末なので、・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・が、その時の私の腹の虫の居所がよほど悪かったと見えて、どうもそういうあっさりした気になれなかった。別の切符を出すのはつまり自分の無実の罪を承認する事になるような気がしたので、私はそのまま黙って車を下りてしまった。車掌は踏台から乗り出すように・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 芸術の技巧に関する伝統が尊重された時代には、芸術の批評権といったようなものは主に芸術家自身か、さもなくば博学な美術考証家の手に保存されて、吾々素人は何か云いたくなる腹の虫を叱り付けていなければならなかった。ところが何時の間にか伝統の縄・・・ 寺田寅彦 「帝展を見ざるの記」
・・・これらの沢山の不愉快な顔が醸す一種の雰囲気は強い伝染性を持っていて、外から乗り込んで来る人の心に、すぐさま暗い影を投げないではおかない、そして多くの人の腹の虫の居所を変えさせようとする傾向がある。 自分がこういう感じを始めてはっきり自覚・・・ 寺田寅彦 「電車と風呂」
・・・「放してくれ、此奴逝わさにゃ、腹の虫が納るかい。」「泣きやがるな!」「何にッ!」 秋三は人々を振り切った。そして、勘次の胸をめがけて突きかかると、二人はまた一つの塊りになって畳の上へぶっ倒れた。酒が流れた。唐の芋が転がった。・・・ 横光利一 「南北」
・・・ 私は絶えずチクチク私の心を刺す執拗な腹の虫を断然押えつけてしまうつもりで、近ごろある製作に従事した。静かな歓喜がかなり永い間続いた。そのゆえに私は幸福であった。ある日私はかわいい私の作物を抱いてトルストイとストリンドベルヒの前に立った・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
出典:青空文庫