・・・ 以上は新春の屠蘇機嫌からいささか脱線したような気味ではあるが、昨年中頻発した天災を想うにつけても、改まる年の初めの今日の日に向後百年の将来のため災害防禦に関する一学究の痴人の夢のような無理な望みを腹一杯に述べてみるのも無用ではないであろ・・・ 寺田寅彦 「新春偶語」
・・・むしろ、あらゆる伝統を深く掘り下げ、噛みこなして、十二分に腹をこしらえてから後に、自分の腹一杯の声を出して、自分の中にある本当のものを正直に表現するのが本当の「野獣」である。野獣の皮を被った羊や驢馬は頼みにならないのである。 こう云った・・・ 寺田寅彦 「二科展院展急行瞥見記」
・・・朝は大概寝坊をして、これがために昼飯を抜きにする事があるが、その代りに夜の十時頃から近所の牛肉屋へ上がって腹一杯に食う事も珍しくない。一体に食う方にかけては贅沢で、金のある時には洋食だ鰻だとむやみに多量に取寄せて独りで食ってしまうが、身なり・・・ 寺田寅彦 「まじょりか皿」
・・・人間はまず腹一杯食べたいというなら、それはどう食べるかということを考えるところまで、現代の歴史は進んで来ています。人のものを掻払って食べるか、身を売って食うか、人をだまして食べるか。或は人間には全くそういう風でない、人間には生きる権利がある・・・ 宮本百合子 「社会と人間の成長」
出典:青空文庫