・・・僕は幸徳君らと多少立場を異にする者である。僕は臆病で、血を流すのが嫌いである。幸徳君らに尽く真剣に大逆を行る意志があったか、なかったか、僕は知らぬ。彼らの一人大石誠之助君がいったというごとく、今度のことは嘘から出た真で、はずみにのせられ、足・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・徳義的批判を含んだ言葉で云えば臆病とか度胸がないとか云うべき弱点を自由に白状している。たかが夏目漱石の所へ来るのにこうビクビクする必要はあるまいとお思いかも知れませんが実際あるのです。しかし私はこれが今の青年だからあるのだと信じます。旧幕時・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・ そうなると、子供や臆病な男は夜になるとそこを通らない。 このくらいのことはなんでもない。命をとられるほどのことはないから。 だが、見たため、知ったために命を落とす人が多くある。その一つの話を書いてみましょう。 その学校・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・とこうは思ったものの、さて自分は臆病だ、そんならと云うてこれを決行することが出来なかった。何故かと云うに、ジュコーフスキー流にやるには、自分に充分の筆力があって、よしや原詩を崩しても、その詩想に新詩形を附することが出来なくてはならぬのだが、・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
・・・お前さんも、ことによったら、臆病のためかも知れないよ。」「そうだ。臆病のためだったかも知れないね。じっさい、あの時の、音や光は大へんだったからね。」「そうだろう。やっぱり、臆病のためだろう。ハッハハハハッハ、ハハハハハ。」 稜の・・・ 宮沢賢治 「気のいい火山弾」
・・・ただ一言もまことはなく卑怯で臆病でそれに非常に妬み深いのだ。うぬ、畜生の分際として。」 樺の木はやっと気をとり直して云いました。「もうあなたの方のお祭も近づきましたね。」 土神は少し顔色を和げました。「そうじゃ。今日は五月三・・・ 宮沢賢治 「土神ときつね」
・・・それでいて、その中に飛び込むのを留める何物かが心の中にあった。」臆病もあったが、「しかしそれよりもっと大きい原因は、流行に対する一種の反撥心みたいなものであった。彼は真面目な人は尊敬していた。だが日頃こいつがと思っているような軽薄な奴までが・・・ 宮本百合子 「落ちたままのネジ」
・・・その身のこなしがいかにも臆病な老人らしく、佐和子は悲しかった。彼女は急いで、「ポチ! ポチ!」と出鱈目の名を呼び立てた。ポチは、砂を蹴って父の傍から離れると、一飛び体をくねらせ、傍の晴子の頬の辺を嘗めた。父がまるでむきな調子で、・・・ 宮本百合子 「海浜一日」
・・・これは老人や妻子を弔うためだとは言ったが、実は下人どもに臆病の念を起させぬ用心であった。 阿部一族の立て籠った山崎の屋敷は、のちに斎藤勘助の住んだ所で、向いは山中又左衛門、左右両隣は柄本又七郎、平山三郎の住いであった。 このうち・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・ 第三は、臆病なる大将である。「心愚痴にして女に似たる故、人を猜み、富める者を好み、諂へるを愛し、物ごと無穿鑿に、分別なく、無慈悲にして心至らねば、人を見しり給はず」というような、心の剛さを欠いた、道義的性格の弱い人物である。したがって・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫