・・・文を売りて米の乏しきを歎き、意外の報酬を得て思わず打ち笑みたる彼は、ここに至って名利を見ること門前のくろの糞のごとくなりき。臨むに諸侯の威をもってし招くに春岳の才をもってし、しこうして一曙覧をして破屋竹笋の間より起たしむるあたわざりしもの何・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・それが近年に至って文学上の趣味を楽むようになってから、智識的な事には少しあきが来て、感情に走った結果、宗教上の信仰という事に味いが出て来て、耶蘇教でも仏教でも信仰のある所には愉快な感じが起るようになった。しかしそれは文学上の美感が単に感情の・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・「只今のようなわけで、至って無邪気なので、決して悪気があって笑ったりしたのではないようでございますから、どうかおゆるしをねがいとう存じます。」 私はもちろんすぐ云いました。「どう致しまして。私こそいきなりおうちの運動場へ飛び込ん・・・ 宮沢賢治 「茨海小学校」
・・・観潮楼から斜かいにその頃は至って狭く急であった団子坂をよこぎって杉林と交番のある通りへ入ったところから、私は毎朝、白山の方へ歩いて行ったのであった。 最近、本を読んで暮すしか仕方のない生活に置かれていた時、私は偶然「安井夫人」という鴎外・・・ 宮本百合子 「鴎外・漱石・藤村など」
・・・国男は安積へゆき、家は至ってしずかになりました。家へかえってからはじめて音のない生活です。大変楽です。頭がよく働く。鶴さん夫婦は日にやけていずれもまっくろです。私はその傍にゆくと心持がわるいほど白い。きょうも毛布のことが電話で通じられました・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・今や世界のトルストイが晩年に至って書きのこす日記の一冊、一枚のメモ、それは出版経営者としてのソフィヤ夫人が洩すところなく「私の出版」に収録しようと欲するところであり、而も、トルストイの親友と称する連中も亦「未発表」の何ものかを獲ようととびめ・・・ 宮本百合子 「ジャンの物語」
・・・ 今日になっては、私自身至っておそいテンポながら文学の実践においてもすでにより発達した水準に到達しているし、プロレタリア文学運動において絶えず具体的に高められ強められてゆかなければならない芸術における階級性の問題も、今は、過去の成果と教・・・ 宮本百合子 「近頃の感想」
・・・而るに弟子は召ぶを知って逐うを知らぬので、満屋皆水なるに至って周章措く所を知らなかったということがある。当時の新聞雑誌はこの弟子であった。予はこれを語るにつけても、主筆猪股君がこの原稿に接して、早く既に同じ周章をせねば好いがと懸念する。予の・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・お爺いさんのする事は至って殊勝なようであるが、女中達は一向敬服していなかった。そればかりではない。女中達はお爺いさんを、蔭で助兵衛爺さんと呼んでいた。これはお爺いさんが為めにする所あって布団をまくるのだと思って附けた渾名である。そしてそれが・・・ 森鴎外 「心中」
・・・そうして最後の『明暗』に至って憤怒はほとんど憐愍に近づき、同情はほとんど全人間に平等に行きわたろうとしている。顧みてこの十三年の開展を思うとき、先生もはるかな道を歩いて来たものだと思う。 その経路を概観してみると、『猫』の次に『野分』に・・・ 和辻哲郎 「夏目先生の追憶」
出典:青空文庫