・・・大循環志願者出発線、これより北極に至る八千九百ベェスター南極に至る八千七百ベェスターと書いてあるんだ。そのスタートに立って僕は待っていたねえ、向うの島の椰子の木は黒いくらい青く、教会の白壁は眼へしみる位白く光っているだろう。だんだんひるにな・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
恋愛は、実に熱烈で霊感的な畏ろしいものです。 人間の棲む到る処に恋愛の事件があり、個人の伝記には必ずその人の恋愛問題が含まれてはいますが、人類全般、個人の全生活を通観すると、それらは、強いが烈しいが、過程的な一つの現象・・・ 宮本百合子 「愛は神秘な修道場」
・・・読者は新年の初刊を看てここに至る時、縁起が悪いと云うかも知れない。しかし初春の狂言には曽我を演ずるを吉例としてある。曽我は敵討で、敵を討てば人死のあることを免れない。況や鴎外漁史は一の抽象人物で、その死んだのは、児童の玩んでいた泥孩が毀れた・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・何故なら、われわれは最早やここに至ると、文学を論じているのではなくして、自個の世界の眺め方を論じているのだからである。われわれは個である以上、此の二つの唯心、唯物のいずれか一つをその認識力に従って、撰ばねばならぬ運命を持っている。 ・・・ 横光利一 「新感覚派とコンミニズム文学」
・・・に達したとき、そこに彼らは至る処、十六世紀のカピタンたちが沿岸で見たと同じ華麗なものを見いだしたのである。 フロベニウスは一九〇六年、その第一回の探検旅行の際には、なお、コンゴーのカッサイ・サンクル地方で、カピタンが描いたと同じような村・・・ 和辻哲郎 「アフリカの文化」
出典:青空文庫