・・・しかし、航海の頻繁なところであるから潮の調査は非常に必要なので、海軍の水路部などでは沢山な費用と時日を費やしてこれを調べておられます。東京辺と四国の南側の海岸とでは満潮の時刻は一時間くらいしか違わないし、満干の高さもそんなに違いませんが、四・・・ 寺田寅彦 「瀬戸内海の潮と潮流」
・・・また仁明天皇の御代に僧真済が唐に渡る航海中に船が難破し、やっと筏に駕して漂流二十三日、同乗者三十余人ことごとく餓死し真済と弟子の真然とたった二人だけ助かったという記事がある。これも颱風らしい。こうした実例から見ても分るように遣唐使の往復は全・・・ 寺田寅彦 「颱風雑俎」
・・・高知から三、四百トンくらいの汽船に寿司詰になっての神戸までの航海も暑い旅であった。荷物用の船倉に蓆を敷いた上に寿司を並べたように寝かされたのである。英語の先生のHというのが風貌魁偉で生徒からこわがられていたが、それが船暈でひどく弱って手ぬぐ・・・ 寺田寅彦 「夏」
・・・私は何かにつけてケアレスな青年であったから、そのころのことは主要な印象のほかは、すべて煙のごとく忘れてしまったけれど、その小さい航海のことは唯今のことのように思われていた。その時分私は放縦な浪費ずきなやくざもののように、義姉に思われていた。・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・そうしてその多くの人々に代わって、先生につつがなき航海と、穏やかな余生とを、心から祈るのである。 夏目漱石 「ケーベル先生の告別」
・・・これは一人の黒奴が、ナーシッサスと云う船に乗り込んで航海の途中に病死する物語であるが、黒奴の船中生活を叙したものとしては、いかにも幼稚で、できが悪い。しかし航海の描写としては例の通り雄健蒼勁の極を尽したものである。だから、余の希望から云うと・・・ 夏目漱石 「コンラッドの描きたる自然について」
・・・ 万寿丸は室浜の航海だ。月に三回はいやでも浜に入って来らあ。海事局だって、俺の言い分なんか聞かねえ事あ、手前や船長が御託を並べるまでも無えこっちで知ってらあ。愈々どん詰りまで行けゃあ、俺だって虫けらた違うんだからな。そうなりゃ裸と裸だ。五分・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
・・・ 若し、彼女が、長い航海をしようとでも考えるなら、終いには、船員たちは塩水を飲まなければならない。 何故かって、タンクと海水との間の、彼女のボットムは、動脈硬化症にかかった患者のように、海水が飲料水の部分に浸透して来るからだった。だ・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・第四、数学 指を屈して物の数を計るをはじめとし、天文・測量・地理・航海・器械製造・商売・会計、ことごとく皆、数学のかかわらざるものなし。かつ数学を知らざる者は、その学識を実用に施すときにあたりて、議論つねに迂闊なり。・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
政治は人の肉体を制するものにして、教育はその心を養うものなり。ゆえに政治の働は急劇にして、教育の効は緩慢なり。例えば一国に農業を興さんとし商売を盛ならしめんとし、あるいは海国にして航海の術を勉めしめんとするときは、その政府・・・ 福沢諭吉 「政事と教育と分離すべし」
出典:青空文庫