・・・「あの女は気違いのように、何でも船へ乗ろうとする。舟子たちはそれを乗せまいとする。とうとうしまいにあの女は、少将の直垂の裾を掴んだ。すると少将は蒼い顔をしたまま、邪慳にその手を刎ねのけたではないか? 女は浜べに倒れたが、それぎり二度と乗・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・ 八人の船子を備えたる艀は直ちに漕寄せたり。乗客は前後を争いて飛移れり。学生とその友とはやや有りて出入口に顕れたり。その友は二人分の手荷物を抱えて、学生は例の厄介者を世話して、艀に移りぬ。 艀は鎖を解きて本船と別るる時、乗客は再び観・・・ 泉鏡花 「取舵」
・・・娘はふたたびあがってきて、舟子が待っておりますでございますと例のとおりていねいに両手をついていう。「どうでしょう、雨になりはしますまいか、遠くへのりだしてから降られちゃ、たいへんですからな」といえば、「ハイ……雨になるようなこと・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
・・・しかしこの船宿は、かの待合同様な遊船宿のそれではない、清国の津々浦々から上って来る和船帆前船の品川前から大川口へ碇泊して船頭船子をお客にしている船乗りの旅宿で、座敷の真中に赤毛布を敷いて、欅の岩畳な角火鉢を間に、金之助と相向って坐っているの・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・丸き目、深き皺、太き鼻、逞ましき舟子なり。「源叔父ならずや」、巡査は呆れし様なり。「さなり」、嗄れし声にて答う。「夜更けて何者をか捜す」「紀州を見たまわざりしか」「紀州に何の用ありてか」「今夜はあまりに寒ければ家に伴・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・北海道歌志内の鉱夫、大連湾頭の青年漁夫、番匠川の瘤ある舟子など僕が一々この原稿にあるだけを詳しく話すなら夜が明けてしまうよ。とにかく、僕がなぜこれらの人々を忘るることができないかという、それは憶い起こすからである。なぜ僕が憶い起こすだろうか・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・西南北、前後左右、あるいは大あるいは小、高きあり、ひくきあり、みの亀の尾ひきたるごとき者、臥したる牛の首あげたるごとき者あり、月島星島桂島、踞せるがごときが布袋島なら立てるごときは毘沙門島にや、勝手に舟子が云いちらす名も相応に多かるべし。松・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・ この湖畔の呉王廟は、三国時代の呉の将軍甘寧を呉王と尊称し、之を水路の守護神としてあがめ祀っているもので、霊顕すこぶるあらたかの由、湖上往来の舟がこの廟前を過ぐる時には、舟子ども必ず礼拝し、廟の傍の林には数百の烏が棲息していて、舟を見つ・・・ 太宰治 「竹青」
出典:青空文庫