・・・白はほとんど風のように、裏庭の芝生へ駈けこみました。もうここまで逃げて来れば、罠にかかる心配はありません。おまけに青あおした芝生には、幸いお嬢さんや坊ちゃんもボオル投げをして遊んでいます。それを見た白の嬉しさは何と云えば好いのでしょう? 白・・・ 芥川竜之介 「白」
・・・三人はクララの立っている美しい芝生より一段低い沼地がかった黒土の上に単調にずらっとならんで立っていた――父は脅かすように、母は歎くように、男は怨むように。戦の街を幾度もくぐったらしい、日に焼けて男性的なオッタヴィアナの顔は、飽く事なき功名心・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・さきより踞いたる頭次第に垂れて、芝生に片手つかんずまで、打沈みたりし女の、この時ようよう顔をばあげ、いま更にまた瞳を定めて、他のこと思いいる、わが顔、瞻るよと覚えしが、しめやかなるものいいしたり。「可うござんす。千ちゃん、私たちの心とは・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・ といいあえず、上着の片褄掻取りあげて小刻に足はやく、颯と芝生におり立ちぬ。高津は見るより、「あら、まだそんなことをなすッちゃいけません。いけませんよ。」 と呼び懸けながら慌しく追い行きたる、あとよりして予は出でぬ。 木戸の・・・ 泉鏡花 「誓之巻」
・・・太字で挙げている本命だけを、三着まで配当のある確実な複式で買うという小心な堅実主義の男が、走るのは畜生だし、乗るのは他人だし、本命といっても自分のままになるものか、もう競馬はやめたと予想表は尻に敷いて芝生にちょんぼりと坐り、残りの競走は見送・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・ 朝、娼家を出た私は、円山公園の芝生に寝転んで、煙草を吸った。背を焼かれるような悔恨と、捨てられた古雑巾のような疲労! 公園のラジオ塔から流れて来るラジオ体操の単調な掛声は、思いがけず焦躁の響きだったが、私は何もしたくなかった。学校へも・・・ 織田作之助 「中毒」
・・・大仏通りの方でF氏と別れて、しめっぽい五月の闇の中を、三人は柔かい芝生を踏みながら帰ってきた。ブランコや遊動円木などのあるところへ出た。「あたし乗ってみようかしら? 夜だからかまやしないことよ……」と浪子夫人が言いだした。「あぶないあぶ・・・ 葛西善蔵 「遊動円木」
・・・と石井翁は消えゆく煙の末に浮かび出た洋服姿の年若い紳士を見て思った。芝生を隔てて二十間ばかり先だから判然しない。判然しないが似ている。背格好から歩きつきまで確かに武だと思ったが、彼は足早に過ぎ去って木陰に隠れてしまった。 この姿のお・・・ 国木田独歩 「二老人」
・・・そのあくびが終るか終らないうちに、彼は、ぱたりと丸太を倒すように芝生の上に倒れてしまった。 吉永は、とび上った。 も一発、弾丸が、彼の頭をかすめて、ヒウと唸り去った。「おい、坂本! おい!」 彼は呼んでみた。 軍服が、ど・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・ 尻尾を焼かれた馬が芝生のある傾斜面を、ほえるように嘶き、倒れている人間のあいだを縫って狂的に馳せまわった。 女や、子供や、老人の叫喚が、逃げ場を失った家畜の鳴声に混って、家が倒れ、板が火に焦げる刺戟的な音響や、何かの爆発する轟音な・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
出典:青空文庫