・・・おい若夫婦、おまえたちは今日は花形だから忙しいぞ。ともちゃん……じゃない、奥さんは庭にお出でなすって、お兄さんの棺を飾る花をお集めくださいませんか。ドモ又、おまえが描いたという画はなんでもかんでも持ち出してサインをしろ。そうして青島、おまえ・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・沼南夫人はまた実にその頃の若い新らしい側を代表する花形であった。 今日の女の運動は社交の一つであって、貴婦人階級は勿論だが、中産以下、プロ階級の女の集まりでもとかくに着物やおつくりの競争場になりがちであるが、その頃のキリスト教婦人は今の・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・その花々しい神速なる行動は真に政治小説中の快心の一節で、当時の学堂居士の人気は伊公の悪辣なるクーデター劇の花形役者として満都の若い血を沸かさしたもんだ。 先年侯井上が薨去した時、当年の弾劾者たる学堂法相の著書『経世偉勲』が再刊されたのは・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・が、昭和十二年、当時の花形棋師木村、花田両八段を相手に、六十八歳の坂田は十六年振りに対局をした。当時木村と花田は関根名人引退後の名人位獲得戦の首位と二位を占めていたから、この二人が坂田に負けると、名人位の鼎の軽重が問われる。それに東京棋師の・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・の大半は、たとえばパリイに二十年前に留学し、或いは母ひとり子ひとり、家計のために、いまはフランス文学大受け、孝行息子、かせぐ夫、それだけのことで、やたらと仏人の名前を書き連ねて以て、所謂「文化人」の花形と、ご当人は、まさか、そう思ってもいな・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・また美しい五彩の花形模様のぐるぐる回りながら変化するものもあった。こんな幼稚なものでも当時の子供に与えた驚異の感じは、おそらくはラジオやトーキーが現代の少年に与えるものよりもあるいはむしろ数等大きかったであろう。一から見た十は十倍であるが、・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・また床上に流した石油に点火するときその炎の前面が花形に進行する現象からもまた、放射形柱状渦の存在を推定したことがあった。それの類推的想像と、もう一つは完全流体の速度の場と静電気的な力の場との類似から、例の不謹慎な空想をたくましくして、もしも・・・ 寺田寅彦 「自然界の縞模様」
・・・それからもう一つには、この年に相踵いで起った色々の災害レビューの終幕における花形として出現したために、その「災害価値」が一層高められたようである。そのおかげで、それまではこの世における颱風の存在などは忘れていたらしく見える政治界経済界の有力・・・ 寺田寅彦 「颱風雑俎」
・・・すすけた障子紙へ一滴の水をたらすとしみができるが、その輪郭は円にならなくて菊の花形になる。筒井俊正君の実験で液滴が板上に落ちて分裂する場合もこれに似ている事が知られた。葡萄酒がコップをはい上がる現象にも類似の事がある。 剃刀をとぐ砥石を・・・ 寺田寅彦 「物理学圏外の物理的現象」
・・・平和の克復したこの後の時代にジャズ模倣の名手として迎えらるべき芸人の花形は朱塗の観音堂を見たことのないものばかりになるのである。時代は水の流れるように断え間なく変って行く。人はその生命の終らぬ中から早く忘れられて行く。その事に思い至れば、生・・・ 永井荷風 「草紅葉」
出典:青空文庫