島木さんに最後に会ったのは確か今年の正月である。僕はその日の夕飯を斎藤さんの御馳走になり、六韜三略の話だの早発性痴呆の話だのをした。御馳走になった場所は外でもない。東京駅前の花月である。それから又斎藤さんと割り合にすいた省・・・ 芥川竜之介 「島木赤彦氏」
・・・それともうひとつ想いだすのは、浜子が法善寺の小路の前を通る時、ちょっと覗きこんで、お父つあんの出たはるのはあの寄席やと花月の方を指しながら、私たちに言って、きゅうにペロリと舌を出したあの仕草です。 やがて楽天地の建物が見えました。が、浜・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・の隣に寄席の「花月」がある。僕らが子供の頃、黒い顔の初代春団治が盛んにややこしい話をして船場のいとはんたちを笑わせ困らせていた「花月」は、今は同じ黒い顔のエンタツで年中客止めだ。さて、花月もハネて、帰りにどこぞでと考えると、「正弁丹吾亭」が・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・そんな私の気持があの人に通じたかどうか、文楽のかわりにと連れて行って下すったのが、ほかに行くところもあろうに法善寺の寄席の花月だった。何も寄席だからわるいというわけではないが、矢張り婚約の若い男女が二人ではじめて行くとすれば、音楽会だとかお・・・ 織田作之助 「天衣無縫」
・・・のをフーフー口とがらせて食べ、仲良く腹がふくれてから、法善寺の「花月」へ春団治の落語を聴きに行くと、ゲラゲラ笑い合って、握り合ってる手が汗をかいたりした。 深くなり、柳吉の通い方は散々頻繁になった。遠出もあったりして、やがて柳吉は金に困・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・秋坪は旧幕府の時より成島柳北と親しかったので、その戯著小西湖佳話は柳北の編輯する花月新誌の第四十四号からその誌上に連載せられた。佳話の初にまず公園の勝概が述べてある。わたくしは例によって原文を次の如く訓み下す。「忍ヶ岡ハ其ノ東北ニ亘リ一・・・ 永井荷風 「上野」
・・・わたくしが個人雑誌『花月』の誌上に、『かかでもの記』を掲げて文壇の経歴を述べたのは今より十五、六年以前であるが、初は『自作自評』と題して旧作の一篇ごとに執筆の来由を陳べ、これによって半面はおのずから自叙伝ともなるようにしたいと考えた。しかし・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・これは柳北が『花月新誌』に言うところと全く符合している。明治十年五月の『花月新誌』載する所の「詰二上遊客一文」に曰く、「ソレ我ガ上ノ桜花ヲ以テ鳴ルヤ久シ。故ニ花候ニ当テハ輪蹄陸続トシテ文士雅流俗子婦女ノ別ナク麕集シ蟻列シ、繽紛狼藉人ヲシテ大・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・』 若子さんが眼で教えて下さったので、其方を見ましたら、容色の美しい、花月巻に羽衣肩掛の方が可怖い眼をして何処を見るともなく睨んで居らしッたの。それは可怖い目、見る物を何でも呪って居らッしゃるんじゃないかと思う位でした。 私も覚えず・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・月女倶して内裏拝まん朧月薬盗む女やはある朧月河内路や東風吹き送る巫が袖片町にさらさ染るや春の風春水や四条五条の橋の下梅散るや螺鈿こぼるゝ卓の上玉人の座右に開く椿かな梨の花月に書読む女あり閉帳の錦垂れたり春・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
出典:青空文庫