・・・友人は苦労人で、ちゃんとできた人であるから、醜くとり乱すこともなく、三七、二十一日病院に通い、注射を受けて、いまは元気に立ち働いているが、もしこれが私だったら、その犬、生かしておかないだろう。私は、人の三倍も四倍も復讐心の強い男なのであるか・・・ 太宰治 「畜犬談」
人生はチャンスだ。結婚もチャンスだ。恋愛もチャンスだ。と、したり顔して教える苦労人が多いけれども、私は、そうでないと思う。私は別段、れいの唯物論的弁証法に媚びるわけではないが、少くとも恋愛は、チャンスでないと思う。私はそれ・・・ 太宰治 「チャンス」
・・・と呼ばれ、君は、「苦労人。」と呼ばれた。「うんとひどい嘘、たくさん吐くほど、嘘つきでなくなるらしいのね?」 十二、三歳の少女の話を、まじめに聞ける人、ひとりまえの男というべし。 その余は、おのれの欲するがまにまに行え。・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
・・・そういう意味から、新年を祝う複雑なしきたりだの、その盛大さというものを考えてみると、どうもこれは苦労人の考え出したものらしく思われますがいかがでしょう。例えば中国の習俗では正月を迎えることは年中行事中、最も賑やからしい様子ですが、それなら中・・・ 宮本百合子 「歳々是好年」
・・・ 滄洲翁は江戸までも修業に出た苦労人である。倅仲平が学問修行も一通り出来て、来年は三十になろうという年になったので、ぜひよめを取ってやりたいとは思うが、その選択のむずかしいことには十分気がついている。 背こそ仲平ほど低くないが、・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・藤村の作品からは我々は苦労人の目から見たしみじみとした人生の味を味わい取ることができる。特に藤村が全力を集注して書いた数篇の長篇は、くり返して読むに価する滋味に富んだものである。またくり返して読ませるだけの力を持った作品である。・・・ 和辻哲郎 「藤村の個性」
出典:青空文庫