・・・Rのつけた雑誌の名前を繰り返し繰り返し喜び、それと定まるまでの苦心を滑稽化して笑いました。私の興味深く感じるのはその名前によって表現を得た私達の精神が、今度はその名前から再び鼓舞され整理されてくるということです。 私達はAの国から送って・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・ お政の苦心は十分母の満足を得なかったのである。折角の帯も三円にしかならず、仕方なしにお政は自分の出て行った後でこの三円を母に渡すと、母は大立腹。二人の問答は次のようであった。「五円と言って来たのだよ」「でも只今これだけしか無い・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
一、堅く堅く志を立てること。およそ一芸に秀で一能に達するには、何事によらず容易なことではできない。それこそ薪に臥し胆を嘗めるほどの苦心がいるものと覚悟せねばならない。昔から名人の域に達した人が、どれほど苦しんだかとい・・・ 倉田百三 「芸術上の心得」
・・・でもって同君の名を知り伎倆を知り其執筆の苦心の話をも聞知ったのでありました。 当時所謂言文一致体の文章と云うものは専ら山田美妙君の努力によって支えられて居たような勢で有りましたが、其の文章の組織や色彩が余り異様であったために、そして又言・・・ 幸田露伴 「言語体の文章と浮雲」
・・・は先生が哲学上の用語に就て非常の苦心を費したもので「革命前仏蘭西二世紀事」は其記事文の尤も精采あるものである。而して先生は殊に記事文を重んじた。先生曰く、事を紀して読者をして見るが如くならしむるは至難の業である。若し能く記事の文に長ずれば往・・・ 幸徳秋水 「文士としての兆民先生」
・・・ と三吉が振って見せる帽子も見えなくなる頃は、小山の家の奥座敷の板屋根も、今の養子の苦心に成った土蔵の白壁も、瞬く間におげんの眼から消えた。汽車は黒い煙をところどころに残し、旧い駅路の破壊し尽くされた跡のような鉄道の線路に添うて、その町・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・かず枝は、背がひくいから、お客の垣の間から舞台を覗き見するのに大苦心の態であった。田舎くさい小女に見えた。嘉七も、客にもまれながら、ちょいちょい背伸びしては、かず枝のその姿を心細げに追い求めているのだ。舞台よりも、かず枝の姿のほうを多く見て・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・このアペンディックスが邪魔にならないようにかなりな苦心を払っているような形跡が見える。少なくもこの点では清長のほうが歌麿よりもはるかにすぐれていると私は信じている。 これだけのわずかな要点を抽出して考えても歌麿以前と以後の浮世絵人物・・・ 寺田寅彦 「浮世絵の曲線」
・・・明治の今日に生を享くる我らは維新の志士の苦心を十分に酌まねばならぬ。 僕は世田ヶ谷を通る度に然思う。吉田も井伊も白骨になってもはや五十年、彼ら及び無数の犠牲によって与えられた動力は、日本を今日の位置に達せしめた。日本もはや明治となって四・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・少くとも発明という賛辞に価するだけに発明者の苦心と創造力とが現われている。即ち国民性を通過して然る後に現れ出たものである。 こういう点から見て、自分は維新前後における西洋文明の輸入には、甚だ敬服すべきものが多いように思っている。徳川幕府・・・ 永井荷風 「銀座」
出典:青空文庫