・・・興酣なる汐時、まのよろしからざる処へ、田舎の媽々の肩手拭で、引端折りの蕎麦きり色、草刈籠のきりだめから、へぎ盆に取って、上客からずらりと席順に配って歩行いて、「くいなせえましょう。」と野良声を出したのを、何だとまあ思います?・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・沢井様の草刈に頼まれて朝疾くからあちらへ上って働いておりますと、五百円のありかを卜うのだといって、仁右衛門爺さんが、八時頃に遣って来て、お金子が紛失したというお居室へ入って、それから御祈祷がはじまるということ、手を休めてお庭からその一室の方・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・一人の旅商人、中国辺の山道にさしかかりて、草刈りの女に逢う。その女、容目ことに美しかりければ、不作法に戯れよりて、手をとりてともに上る。途中にて、その女、草鞋解けたり。手をはなしたまえ、結ばんという。男おはむきに深切だてして、結びやるとて、・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
・・・ 麦搗も荒ましになったし、一番草も今日でお終いだから、おとッつぁん、熱いのに御苦労だけっと、鎌を二三丁買ってきてくるっだいな、此熱い盛りに山の夏刈もやりたいし、畔草も刈っねばなんねい……山刈りを一丁に草刈りを二丁許り、何処の鍛冶屋でもえいか・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・ 麦搗も荒ましになったし、一番草も今日でお終いだから、おとッつぁん、熱いのに御苦労だけっと、鎌を二三丁買ってきてくるっだいな、此熱い盛りに山の夏刈もやりたいし、畔草も刈っねばなんねい……山刈りを一丁に草刈りを二丁許り、何処の鍛冶屋でもえいか・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・自分は天の冥加に叶って今かく貴い身にはなったが、氏も素性もないものである、草刈りが成上ったものであるから、古の鎌子の大臣の御名を縁にして藤原氏になりたいものだ。というのは関白になろうの下ごころだった。すると秀吉のその時の素ばらしい威勢だった・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・そして、夏は下男たちの庭の草刈に手つだいしたり、冬は屋根の雪おろしに手を貸したりなどしながら、下男たちにデモクラシイの思想を教えた。そうして、下男たちは私の手助けを余りよろこばなかったのをやがて知った。私の刈った草などは後からまた彼等が刈り・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・八月二十八日 晴、驟雨 朝霧が深く地を這う。草刈。百舌が来たが鳴かず。夕方の汽車で帰る頃、雷雨の先端が来た。加藤首相葬儀。八月二十九日 曇、午後雷雨 午前気象台で藤原君の渦や雲の写真を見る。八月三十日 晴・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・ 五 草刈り 屋敷内に草一本ないという自覚を享楽するために、わざわざ人を雇ってまでも裏庭のすみずみまできれいに草を取ってしまう人がある。こういう人の心持ちが少なくも子供の時分にはわからなかった。なぜ草がはえていてはい・・・ 寺田寅彦 「路傍の草」
・・・太十は草刈鎌を研ぎすましてまだ幾らもなって居る西瓜の蔓をみんな掻っ切って畢った。そうして壻の文造に麦藁から蔓から深く堀り込んでうなわせた。文造はじりじり日に照りつけられながら、時節でもない畑をうなった。太十には西瓜畑が見ることさえ堪えられな・・・ 長塚節 「太十と其犬」
出典:青空文庫