・・・折から荒れ狂うた浪を踏んで、いず方へか姿を隠し申した。」 奉行「この期に及んで、空事を申したら、その分にはさし置くまいぞ。」 吉助「何で偽などを申上ぎょうず。皆紛れない真実でござる。」 奉行は吉助の申し条を不思議に思った。それは・・・ 芥川竜之介 「じゅりあの・吉助」
・・・すると今まで身動きもしなかった新蔵が、何と思ったか突然立ち上ると、凄じく血相を変えたまま、荒れ狂う雨と稲妻との中へ、出て行きそうにするじゃありませんか。しかもその手には、いつの間にか、石切りが忘れて行ったらしい鑿を提げているのです。これを見・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・これは舟の上に立っていて、御台場に打付ける浪の荒れ狂うような処へ鉤を抛って入れて釣るのです。強い南風に吹かれながら、乱石にあたる浪の白泡立つ中へ竿を振って餌を打込むのですから、釣れることは釣れても随分労働的の釣であります。そんな釣はその時分・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・私の血はさらに逆流し荒れ狂う。あれだ! たしかに、あれだ。伯耆国淀江村。まちがいない。この絵看板の沼は、あの「いかぬ老頭」の庭の池を神秘めかしてかいたのだろう。それでは、事実、あれが「いかぬ老頭」の池に棲息していたのに違いない。身のたけ一丈・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・そうして新約の時代に到って、サタンは堂々、神と対立し、縦横無尽に荒れ狂うのである。サタンは新約聖書の各頁に於いて、次のような、種々さまざまの名前で呼ばれている。二つ名のある、というのが日本の歌舞伎では悪党を形容する言葉になっているようだが、・・・ 太宰治 「誰」
・・・「ああ、鎮めたまえ、荒れ狂う流れを! 時は刻々に過ぎて行きます。太陽も既に真昼時です。あれが沈んでしまわぬうちに、王城に行き着くことが出来なかったら、あの佳い友達が、私のために死ぬのです。」 濁流は、メロスの叫びをせせら笑う如く、ますま・・・ 太宰治 「走れメロス」
・・・ 印度人の小作りなのが揃って、唯灰色に荒れ狂うスクリーンの中で、鑿岩機を運転しているのであった。 ジャックハムマーも、ライナーも、十台の飛行機が低空飛行をでも為ているように、素晴らしい勢で圧搾空気を、ルブから吹き出した。 コムプ・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・戸外に雨は車軸をながし海から荒れ狂う風は鳴れど私の小さい六畳の中はそよりともせず。温室の窓のように若々しく汗をかいた硝子戸の此方にはほのかに満開の薫香をちらすナーシサス耳ざわりな人声は途絶えきおい高ま・・・ 宮本百合子 「海辺小曲(一九二三年二月――)」
・・・の中に、青年のうちに荒れ狂う肉的なものに対する戦いを表現しようとした。青年ジイドは自身の裡に目覚める野獣的な慾望の力と揉み合いつつ、これまで自身が身につけていたと思う教育の威力や倫理や教義の無力を痛感した。彼はその責苦を手記の中に披瀝して、・・・ 宮本百合子 「ジイドとそのソヴェト旅行記」
出典:青空文庫