きくちたけとき【菊池武時】
[?〜1333]鎌倉末期の武将。肥後の人。後醍醐天皇の隠岐 (おき) 脱出に呼応し、博多の鎮西探題 (ちんぜいたんだい) 北条英時 (ほうじょうひでとき) を攻めたが、少弐貞経 (しょうにさだつね) ・大友貞宗の離反により敗死した。
きくちたけとも【菊池武朝】
[1363〜1407]南北朝時代の武将。肥後の人。武光の孫。初名、武興。征西将軍良成親王を立てて今川了俊と各地で戦い、南朝勢力の回復に努めたが、のち、衰退した。
きくちたけみつ【菊池武光】
[?〜1373]南北朝時代の武将。肥後の人。武時の子。征西将軍懐良 (かねなが) 親王を迎え、少弐頼尚 (しょうによりひさ) ・少弐頼国を破って大宰府を占領したが、のち、九州探題今川了俊に圧迫されて衰えた。
きくちゆうほう【菊池幽芳】
[1870〜1947]小説家・新聞記者。茨城の生まれ。本名、清。大阪毎日新聞社に勤めるかたわら、新聞小説を連載。家庭小説の先駆をなした。小説「己が罪」「乳姉妹」など。
きくちようさい【菊池容斎】
[1788〜1878]江戸末期・明治初期の日本画家。江戸の人。本名、武保。通称、量平。狩野派・土佐派などの画法を学び、有職故実に詳しく、歴史画にすぐれ、忠臣孝子たちの肖像画集「前賢故実」を木版本とした。
きくちけいこく【菊池渓谷】
熊本県北部、阿蘇 (あそ) 外輪山北西部にある菊池川源流の渓谷。菊池市に属する。外輪山の伏流水が造り出したもので、6.7キロメートル続く景勝地。一帯の国有林は昭和40年(1965)、九州で初めて自然休養林に指定された。阿蘇くじゅう国立公園に属する。
きくちずけい【菊池図形】
単結晶の電子線回折で現れる回折模様。黒と白が対をなす平行線として現れる菊池線、平行線の間が黒または白の帯状となる菊池帯(菊池バンド)とがある。昭和3年(1928)、物理学者の菊池正士が雲母の電子線解析により発見。菊池模様。菊池パターン。
きくちせん【菊池線】
⇒菊池図形
きくちたい【菊池帯】
⇒菊池図形
きくちパターン【菊池パターン】
⇒菊池図形