・・・船員が極り切って着ている、続きの菜っ葉服が、矢っ張り私の唯一の衣類であった。 私は半月余り前、フランテンの欧洲航路を終えて帰った許りの所だった。船は、ドックに入っていた。 私は大分飲んでいた。時は蒸し暑くて、埃っぽい七月下旬の夕方、・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・そして菜っ葉の畑にかけた。 夕方象は小屋に居て、十把の藁をたべながら、西の三日の月を見て、「ああ、稼ぐのは愉快だねえ、さっぱりするねえ」と云っていた。「済まないが税金がまたあがる。今日は少うし森から、たきぎを運んでくれ」オツベル・・・ 宮沢賢治 「オツベルと象」
・・・お皿も洗ってありますし、菜っ葉ももうよく塩でもんで置きました。あとはあなたがたと、菜っ葉をうまくとりあわせて、まっ白なお皿にのせるだけです。はやくいらっしゃい。」「へい、いらっしゃい、いらっしゃい。それともサラドはお嫌いですか。そんなら・・・ 宮沢賢治 「注文の多い料理店」
・・・百姓の家には、こぼれて砂の入った麦や粟や、いらない菜っ葉や何か、たくさんあるんだ。又甘藍や何かには、青むしもたかる。それをみんな鶏に食べさせる。鶏は大悦びでそれをたべる。卵もうむ。大へん得だと斯う云うがいい。』 私が云ったら、その生徒は・・・ 宮沢賢治 「茨海小学校」
・・・そこで私たちは大急ぎで銘々一つずつパンフレットも作り自働車などまで雇ってそれを撒きちらしましたが実は、なあに、一向あなた方が菜っ葉や何かばかりお上がりになろうと痛くもかゆくもないのです。然しまあやりかけた事ですからこれからも一度あのパンフレ・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・山男はもう支那人が、あんまり気の毒になってしまって、おれのからだなどは、支那人が六十銭もうけて宿屋に行って、鰯の頭や菜っ葉汁をたべるかわりにくれてやろうと思いながら答えました。「支那人さん、もういいよ。そんなに泣かなくてもいいよ。おれは・・・ 宮沢賢治 「山男の四月」
出典:青空文庫