・・・しかも垢じみた萌黄色の毛糸の襟巻がだらりと垂れ下った膝の上には、大きな風呂敷包みがあった。その又包みを抱いた霜焼けの手の中には、三等の赤切符が大事そうにしっかり握られていた。私はこの小娘の下品な顔だちを好まなかった。それから彼女の服装が不潔・・・ 芥川竜之介 「蜜柑」
・・・麦やや青く、桑の芽の萌黄に萌えつつも、北国の事なれば、薄靄ある空に桃の影の紅染み、晴れたる水に李の色蒼く澄みて、午の時、月の影も添う、御堂のあたり凡ならず、畑打つものの、近く二人、遠く一人、小山の裾に数うるばかり稀なりしも、浮世に遠き思あり・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・……真向うは、この辺一帯に赤土山の兀げた中に、ひとり薄萌黄に包まれた、土佐絵に似た峰である。 と、この一廓の、徽章とも言つべく、峰の簪にも似て、あたかも紅玉を鏤めて陽炎の箔を置いた状に真紅に咲静まったのは、一株の桃であった。 綺麗さ・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・けれども、それは何、少いもの同志だから、萌黄縅の鎧はなくても、夜一夜、戸外を歩行いていたって、それで事は済みました。 内じゃ、年よりを抱えていましょう。夜が明けても、的はないのに、夜中一時二時までも、友達の許へ、苦い時の相談の手紙なんか・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・絞りの鹿の子の切、浅葱と赤と二筋を花がけにしてこれが昼過ぎに出来たので、衣服は薄お納戸の棒縞糸織の袷、薄紫の裾廻し、唐繻子の襟を掛て、赤地に白菊の半襟、緋鹿の子の腰巻、朱鷺色の扱帯をきりきりと巻いて、萌黄繻子と緋の板じめ縮緬を打合せの帯、結・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・車蝦の小蝦は、飴色に重って萌葱の脚をぴんと跳ねる。魴ほうぼうの鰭は虹を刻み、飯鮹の紫は五つばかり、断れた雲のようにふらふらする……こち、めばる、青、鼠、樺色のその小魚の色に照映えて、黄なる蕈は美しかった。 山国に育ったから、学問の上の知・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・――萌黄の蚊帳、紅の麻、……蚊の酷い処ですが、お米さんの出入りには、はらはらと蛍が添って、手を映し、指環を映し、胸の乳房を透して、浴衣の染の秋草は、女郎花を黄に、萩を紫に、色あるまでに、蚊帳へ影を宿しました。「まあ、汗びっしょり。」・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・ 苦痛の顔の、醜さを隠そうと、裏も表も同じ雪の、厚く、重い、外套の袖を被ると、また青い火の影に、紫陽花の花に包まれますようで、且つ白羽二重の裏に薄萌黄がすッと透るようでした。 ウオオオオ! 俄然として耳を噛んだのは、凄く可恐い、・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・コ、キイ、キコと鳴く、青い鳥だの、黄色な鳥だの、可愛らしい話もあったが、聞く内にハッと思ったのは、ある親島から支島へ、カヌウで渡った時、白熱の日の光に、藍の透通る、澄んで静かな波のひと処、たちまち濃い萌黄に色が変った。微風も一繊雲もないのに・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ 緋縮緬の女は、櫛巻に結って、黒縮緬の紋着の羽織を撫肩にぞろりと着て、痩せた片手を、力のない襟に挿して、そうやって、引上げた褄を圧えるように、膝に置いた手に萌黄色のオペラバッグを大事そうに持っている。もう三十を幾つも越した年紀ごろから思・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
出典:青空文庫