・・・立ち続く峰々は市ある里の空を隠して、争い落つる滝の千筋はさながら銀糸を振り乱しぬ。北は見渡す限り目も藐に、鹿垣きびしく鳴子は遠く連なりて、山田の秋も忙がしげなり。西ははるかに水の行衛を見せて、山幾重雲幾重、鳥は高く飛びて木の葉はおのずから翻・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・壁の落つる音ものすごく玉突き場の方にて起これり。ためらいいし人々一斉に駆けいでたり。室に残りしは二郎とわれと岡村のみ、岡村はわが手を堅く握りて立ち二郎は卓のかなたに静かに椅子に倚れり。この時十蔵室の入り口に立ちて、君らは早く逃げたまわずやと・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・少女は直ちにこれを拾い上げて、紅の葉ごとに水の滴り落つるを見てありしがまたかの大皿にのせ、にわかに気づけるもののごとく振り向きたり。青年の目と少女の目と空に合いし時、少女はさとその面を赤らめ、しばしはためらいしが急に立ちあがりかの大皿のみを・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・また、水に落つる声を骨董という。それもコトンと落ちる響を骨董の字音を仮りて現わしたまでで、字面に何の義もあるのではない。畢竟骨董はいずれも文字国の支那の文字であるが、文字の義からの文字ではなく、言語の音からの文字であって、文字は仮りものであ・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・とかくするうち夏の夕の空かわりやすく、雨雲天をおおいしと見る程もなく、山風ざわざわと吹き下し来て草も木も鳴るとひとしく、雨ばらばらと落つるやがて車の幌もかけあえぬまに篠つく如くふり出しぬ。赤平川の鉄橋をわたる頃は、雷さえ加わりたればすさまじ・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・を掛け、印を結び、行法怠らず、朝廷長久、天下太平、家門隆昌を祈って、それから食事の後には、ただもう机によって源氏を読んでいたというが、如何にも寂びた、細とした、すっきりとした、塵雑の気のない、平らな、落ついた、空室に日の光が白く射したような・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・の句では戸外に荒るる騒音の中から盥に落つる雨漏りの音をクローズアップに写し出したものである。またたとえば芭蕉は時鳥の声により、漱石は杭打つ音によって広々とした江上の空間を描写した。「咳声の隣はちかき縁づたい」に「添えばそうほどこくめんな顔」・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・木の葉をつたい歩く蟻にとりては一粒一粒の雨滴の落つる範囲を方数ミリメートルの内に指定する事が必要なれども、吾人人間には多くの場合にただ雨量と称する統計的の数量が知らるれば十分なり。 六 以上述べたる所に基づき・・・ 寺田寅彦 「自然現象の予報」
・・・空気の抵抗その他をなくすればほぼ一秒間九・八メートルの加速度をもって落つる事は中等教育を受けた者はともかくも一度物理学教科書に教えられる。しかしこれだけの簡単な方則の意味をほんとうに理解していつでも応用しうる程度までに知る人ははなはだまれで・・・ 寺田寅彦 「知と疑い」
・・・ その日は照り続いた八月の日盛りの事で、限りもなく晴渡った青空の藍色は滴り落つるが如くに濃く、乾いて汚れた倉の屋根の上に高く広がっていた。横町は真直なようでも不規則に迂曲っていて、片側に続いた倉庫の戸口からは何れも裏手の桟橋から下る堀割・・・ 永井荷風 「夏の町」
出典:青空文庫